松本剛吉(読み)まつもとごうきち

日本大百科全書(ニッポニカ) 「松本剛吉」の意味・わかりやすい解説

松本剛吉
まつもとごうきち
(1862―1929)

明治・大正期の政治家。文久(ぶんきゅう)2年8月丹波(たんば)国(兵庫県)に生まれる。旧姓今井。維新後上京。警察畑を歩み同郷の田健治郎(でんけんじろう)の知遇を得る。1898年(明治31)憲政党に入り、1904年(明治37)郷里より代議士に当選。1916年(大正5)より田逓信(ていしん)相(ついで台湾総督)の秘書官。こうしたなかで田の背後にいる山県有朋(やまがたありとも)と通じ、一方では西園寺公望(さいおんじきんもち)とも親しくなり、政界表裏を知る消息通として活躍。それを克明に記した日誌は著名である。1927年(昭和2)貴族院議員勅選されたが、昭和4年3月5日死去。

[阿部恒久]

『岡義武・林茂校訂『大正デモクラシー期の政治――松本剛吉政治日誌』(1959・岩波書店)』

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

新訂 政治家人名事典 明治~昭和 「松本剛吉」の解説

松本 剛吉
マツモト ゴウキチ


肩書
貴院議員(勅選),衆院議員(憲政党)

旧名・旧姓
旧姓=今井

生年月日
文久2年8月8日(1862年)

出身地
丹波国柏原(京都府)

経歴
明治初年上京、中村正直の同人社に入り、千葉県巡査となった。17年神奈川、埼玉各県警部から31年憲政党入党、逓信相秘書官、農商務相秘書官を経て、37年以来兵庫県から衆院議員当選4回。45年選挙違反で起訴。大正5年逓信相秘書官、8年台湾総督府秘書官。昭和2年勅選貴院議員。板垣退助星亨原敬、山県有朋、西園寺公望らと深く交わり、政界の裏面に活躍、その「政治日誌」は貴重な資料となっている。著書に「夢の跡」がある。

没年月日
昭和4年3月5日

出典 日外アソシエーツ「新訂 政治家人名事典 明治~昭和」(2003年刊)新訂 政治家人名事典 明治~昭和について 情報

20世紀日本人名事典 「松本剛吉」の解説

松本 剛吉
マツモト ゴウキチ

明治・大正期の政治家,官僚 貴院議員(勅選);衆院議員(憲政党)。



生年
文久2年8月8日(1862年)

没年
昭和4(1929)年3月5日

出身地
丹波国柏原(京都府)

旧姓(旧名)
今井

経歴
明治初年上京、中村正直の同人社に入り、千葉県巡査となった。17年神奈川、埼玉各県警部から31年憲政党入党、逓信相秘書官、農商務相秘書官を経て、37年以来兵庫県から衆院議員当選4回。45年選挙違反で起訴。大正5年逓信相秘書官、8年台湾総督府秘書官。昭和2年勅選貴院議員。板垣退助、星亨、原敬、山県有朋、西園寺公望らと深く交わり、政界の裏面に活躍、その「政治日誌」は貴重な資料となっている。著書に「夢の跡」がある。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「松本剛吉」の解説

松本剛吉 まつもと-ごうきち

1862-1929 明治-昭和時代前期の政治家。
文久2年8月生まれ。神奈川県警部などをへて,明治37年衆議院議員(当選4回)。政界の表裏に通じ,山県有朋(やまがた-ありとも),西園寺公望(さいおんじ-きんもち),原敬(たかし)らとまじわり,情報の提供・連絡役をつとめた。昭和2年貴族院議員。昭和4年3月5日死去。68歳。昭和34年「大正デモクラシー期の政治―松本剛吉政治日誌」が刊行された。丹波氷上郡(兵庫県)出身本姓は今井。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「松本剛吉」の解説

松本 剛吉 (まつもと ごうきち)

生年月日:1862年8月8日
明治時代;大正時代の政治家;官僚。貴族院議員
1929年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

今日のキーワード

大臣政務官

各省の長である大臣,および内閣官房長官,特命大臣を助け,特定の政策や企画に参画し,政務を処理する国家公務員法上の特別職。政務官ともいう。2001年1月の中央省庁再編により政務次官が廃止されたのに伴い,...

大臣政務官の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android