田健治郎(読み)でんけんじろう

日本大百科全書(ニッポニカ) 「田健治郎」の意味・わかりやすい解説

田健治郎
でんけんじろう
(1855―1930)

官僚政治家。安政(あんせい)2年2月8日、丹波(たんば)国氷上(ひかみ)郡下小倉(しもおぐら)村(兵庫県丹波市)の豪農季胤(すえたね)の二男に生まれる。篠山(ささやま)藩儒渡辺弗措(ふっそ)らに学ぶ。1874年(明治7)同郷人を頼って熊谷(くまがや)県に行き官途につく。以後愛知、高知、神奈川埼玉各県官吏を歴任、おもに司法・警察畑を歩む。1890年逓信(ていしん)省に入り、1898年逓信次官となる。1901年(明治34)次官免官。同年兵庫3区より衆議院議員当選し政友会に属したが、1903年脱会。以後山県有朋(やまがたありとも)系の官僚として活躍し、同年逓信次官に再任、1906年には貴族院勅選され、翌年男爵を授けられる。1916年(大正5)寺内正毅(まさたけ)内閣の逓信大臣、1919年には文官として初の台湾総督、1923年第二次山本権兵衛(やまもとごんべえ)内閣の農商務大臣を経て、1926年枢密顧問官となり、1930年(昭和5)11月16日没するまで終生その地位にあった。

由井正臣]

『田健治郎伝編纂会編・刊『田健治郎伝』(1932/復刻版・1988・大空社)』『尚友倶楽部他編『田健治郎日記』全7巻(2008~ ・芙蓉書房出版)』


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新訂 政治家人名事典 明治~昭和 「田健治郎」の解説

田 健治郎
デン ケンジロウ


肩書
衆院議員,貴院議員(勅選),逓信相,農商務相

生年月日
安政2年2月8日(1855年)

出生地
丹波国氷上郡下小倉村(現・兵庫県)

経歴
郷里で儒学などを学んだあと、明治7年熊谷県庁に出仕して官界入り。8年愛知県に転じ、以後、高知、神奈川、埼玉各県の警察部長を歴任。23年後藤象二郎逓信相の下で書記官となり、郵務・通信局長を経て、逓信次官を務めた。この間29年にはハンガリーで開かれた万国電信会議に参加する。その後、政友会結成に参加、35年衆院議員に当選するが36年脱党。同年大浦兼武逓信相の下で再び次官となる。39年〜大正15年勅選貴院議員。5年寺内内閣の逓信相、8年台湾総督、12年第2次山本内閣の農商務相・司法相、15年枢密顧問官などを歴任。民間では関西鉄道会社や九州炭鉱の社長、南洋協会会頭、電気協会会長などをつとめた。明治40年男爵。

没年月日
昭和5年11月16日

家族
孫=田 英夫(政治家)

出典 日外アソシエーツ「新訂 政治家人名事典 明治~昭和」(2003年刊)新訂 政治家人名事典 明治~昭和について 情報

20世紀日本人名事典 「田健治郎」の解説

田 健治郎
デン ケンジロウ

明治・大正期の逓信官僚,政治家,男爵 衆院議員;貴院議員(勅選);逓信相;農商務相。



生年
安政2年2月8日(1855年)

没年
昭和5(1930)年11月16日

出生地
丹波国氷上郡下小倉村(現・兵庫県)

経歴
郷里で儒学などを学んだあと、明治7年熊谷県庁に出仕して官界入り。8年愛知県に転じ、以後、高知、神奈川、埼玉各県の警察部長を歴任。23年後藤象二郎逓信相の下で書記官となり、郵務・通信局長を経て、逓信次官を務めた。この間29年にはハンガリーで開かれた万国電信会議に参加する。その後、政友会結成に参加、35年衆院議員に当選するが36年脱党。同年大浦兼武逓信相の下で再び次官となる。39年〜大正15年勅選貴院議員。5年寺内内閣の逓信相、8年台湾総督、12年第2次山本内閣の農商務相・司法相、15年枢密顧問官などを歴任。民間では関西鉄道会社や九州炭鉱の社長、南洋協会会頭、電気協会会長などを務めた。明治40年男爵。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

改訂新版 世界大百科事典 「田健治郎」の意味・わかりやすい解説

田健治郎 (でんけんじろう)
生没年:1855-1930(安政2-昭和5)

明治・大正期の官僚,政治家。丹波国氷上郡小倉村(現兵庫県丹波市,旧柏原町)に生まれる。篠山藩儒渡辺弗措に学ぶ。1875年熊谷県(群馬県の前身)を振り出しに愛知,神奈川,埼玉各県官吏を経て,90年逓信省に入り,98年逓信次官。1901年衆議院議員に当選,政友会に属したが03年脱会。その後は山県有朋系官僚として逓信次官に再任,06年には貴族院議員に勅選され,翌年男爵。16年寺内正毅内閣に逓信大臣として入閣。19年台湾総督,23年第2次山本権兵衛内閣の農商務大臣,26年枢密顧問官となる。参議院議員田英夫は孫。
執筆者:

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「田健治郎」の意味・わかりやすい解説

田健治郎
でんけんじろう

[生]安政2 (1855).2.8. 丹波
[没]1930.11.16. 東京
明治・大正・昭和期の政治家。愛知県庁,神奈川県庁,埼玉県庁などに出仕。1890年,逓信大臣後藤象二郎に登用され逓信省に入り,郵務局局長,通信局局長などを経て逓信次官に就任。1901年に衆議院議員となって政界入りし,1906年貴族院議員に勅選された。1907年に男爵叙爵。1916年寺内正毅内閣の逓信相,1919~23年台湾総督(→台湾総督府),1923年山本権兵衛内閣の司法大臣兼農商務大臣を歴任。のち枢密顧問官(→枢密院)となった。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「田健治郎」の解説

田健治郎 でん-けんじろう

1855-1930 明治-昭和時代前期の官僚,政治家。
安政2年2月8日生まれ。田文平の次男。田英夫の祖父。神奈川,埼玉など各県警察部長をへて,明治23年逓信省にはいり,31年同省次官兼鉄道局長となる。34年衆議院議員(当選2回,政友会)。寺内内閣の逓信相,台湾総督,第2次山本内閣の農商務相兼法相をつとめる。貴族院議員,枢密顧問官。昭和5年11月16日死去。76歳。丹波氷上郡(兵庫県)出身。

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367日誕生日大事典 「田健治郎」の解説

田 健治郎 (でん けんじろう)

生年月日:1855年2月8日
明治時代;大正時代の官僚;政治家。貴族院議員;衆議院議員;枢密官顧問
1930年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内の田健治郎の言及

【自動車産業】より

…11年に至り,橋本増治郎により快進社自働車工場が創業され,同社はその後株式会社快進社となり,輸入自動車の修理のかたわら,13年小型乗用車を製造した。この車は後援者の田健治郎,青山禄郎,竹内明太郎の頭文字を取り〈DAT(ダツト)〉号と名づけられた。また,DAT号では一般によくわからないので,漢字を当て脱兎(だつと)号とも呼ばれた。…

※「田健治郎」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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