日本歴史地名大系 「柏田村」の解説
柏田村
かしわだむら
- 宮崎県:宮崎市
- 柏田村
〔中世〕
文和三年(一三五四)一〇月一六日の戸次重親申状案(立花家文書)に宮崎庄内「柏田半村 景重方」とみえ、大友氏の庶家戸次浄心(重親)は惣領大友氏時に柏田半村などの所領を譲与し、幕府の安堵を申請している。しかし貞治二年(一三六三)三月二日の足利義詮御判御教書案写(竹中家文書)によれば、足利義詮は修理大夫に対し、浄心から氏時への譲与の経緯と、浄心の子孫がことごとく義絶したのかどうかを調査するよう命じているが、この文書は検討の余地がある。寛正六年(一四六五)二月吉日の神事注文写(奈古神社文書)によると、春秋彼岸僧別次第の五日は柏田之村が勤め、ふしやの的之次第も六ヵ村の回り持ちで巳亥年は柏田之村であった。年月日未詳の奈古社相撲日記写(同文書)の五番に「かしわたの村」とみえる。
柏田村
かしたむら
柏田村
かしわだむら
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報