柏谷横穴群(読み)かしやよこあなぐん

日本歴史地名大系 「柏谷横穴群」の解説

柏谷横穴群
かしやよこあなぐん

[現在地名]函南町柏谷 池頭・前清水

北を来光らいこう川、南を柿沢かきさわ川に挟まれた丘陵最南端が低地と接して、基盤である箱根はこね火山新期軽石流を露出させた通称城山の崖面に掘削された密集型横穴群。眼下の低地縁辺には弥生時代中・後期以降の遺跡が多く、北一キロに同時期併存の集落をもつ伊豆逓信病院敷地内いずていしんびよういんしきちない遺跡がある。当横穴群は古くから開口して江戸時代の「豆州志稿」に「柏谷村ノ山崖ニ一百八」と記され、柏谷かしや百穴ひやつけつとして広く知られてきた。昭和二二年(一九四七)に軽部慈恩がA―Eの五地区を認定して以来確認基数は一四一基、総数では二〇〇基以上とも推定されている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

国指定史跡ガイド 「柏谷横穴群」の解説

かしやよこあなぐん【柏谷横穴群】


静岡県田方郡函南(かんなみ)町柏谷にある墓地跡。伊豆半島の基部、狩野(かの)川流域の田方平野東辺に位置する静岡県最大の横穴群で、柏谷百穴(かしやひゃっけつ)とも呼ばれる。横穴群は高さ約20mの丘陵急斜面にあり、凝灰岩層に掘られている。斜面は現在、4~5段の階段状になっていて各段に並列して横穴が開口し、上段ほど風化が激しく後世の手が入っているものもあるが、下段は埋没して残っている。横穴の形は大部分が両袖式で方形に近く、天井がアーチ形の玄室と短い羨道(せんどう)があり、玄室は長さ2~3m、幅もほぼ同じで、高さは1.5m前後のものが多く、羨道は1m前後であり、通路には河原石が詰められて黄泉(よみ)の国と現世を分けている。出土品は7~8世紀のものが多く、鉄製品(直刀・刀子(とうす)・馬具)や金・銅・石製装身具類(匂玉(まがたま)・菅玉(くだたま)・耳飾りなど)、土器類(土師器(はじき)・須恵器(すえき))、亀甲片(きっこうへん)などがあり、被葬者は柏谷や平井地域で発見された集落遺跡の人々と推定される。横穴の総数は未発見のものを加えて300~500基と推定され、東国でも大規模な横穴群の一つで、地域的にも重要なものであることから、1976年(昭和51)に総計116基以上の横穴のある、横穴群の主要とみられる地域が国の史跡に指定された。その後、指定地に隣接した東側で新たに17基の横穴が確認され、20基前後の存在が推定されている。確認された横穴は6世紀末~7世紀初頭にさかのぼる3基をはじめ、いずれも7世紀前半までの造営で、これまで考えられてきた柏谷横穴墓群の造営開始時期がさかのぼること、この区域が柏谷横穴群のなかでも最初に造営された一画であることが明らかになり、1998年(平成10)に追加指定された。伊豆箱根鉄道駿豆(すんず)線大場駅から伊豆箱根バス「柏谷口」下車、徒歩約10分。

出典 講談社国指定史跡ガイドについて 情報