柳川一蝶斎(3代)(読み)やながわ・いっちょうさい

朝日日本歴史人物事典 「柳川一蝶斎(3代)」の解説

柳川一蝶斎(3代)

没年:明治42.2.17(1909)
生年弘化4.11(1847)
明治期の手品師。江戸神田の御用金物屋の子。本名青木治三郎。文久2(1862)年,16歳で初代一蝶斎に入門。2,3年して蝶之助の名を貰い,本人談によると慶応2(1866)年太神楽・曲芸一座と共に欧州巡業に出て明治2(1869)年帰国したという。15年ごろ柳派へ加入して柳川蝶柳斎の名で寄席へ出演。同25年鍋島直大邸で天覧の栄に浴し,29年3代目一蝶斎を襲名した。獅子の曲,独楽の曲など日本手品をよくし,とりわけ和紙の切れを扇であおいで蝶の飛ぶさまに見せる芸は見事であったという。<参考文献>「芸人出世譚・柳川一蝶斎」(『文芸倶楽部』1906年2月号)

(山本進)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「柳川一蝶斎(3代)」の解説

柳川一蝶斎(3代) やながわ-いっちょうさい

1847-1909 幕末-明治時代の手品師。
弘化(こうか)4年11月生まれ。初代柳川一蝶斎に入門。慶応2年13代松井源水らとヨーロッパ興行に参加し,パリ万国博公演に出演。紙切れを扇であおいで蝶にみたてる芸など,日本式手品の名人といわれ,明治29年3代をついだ。明治42年2月17日死去。63歳。江戸出身。本名は青木治三郎。初名は蝶之助。前名は春風(はるかぜ)蝶柳斎。

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