柳青(読み)りゅうせい

日本大百科全書(ニッポニカ) 「柳青」の意味・わかりやすい解説

柳青
りゅうせい / リウチン
(1916―1978)

中国の小説家。本名は劉蘊華(りゅううんか)。陝西(せんせい)省呉堡(ごほ)県の人。1928年高等小学のとき共産主義青年団に参加、抗日運動のなかで共産党入党(1936)。38年延安に行き、文協延安分会に所属、しばしば従軍して短編ルポルタージュを書く。短編集『地雷』(1947)は当時の作品を収める。43~46年農村工作に従事、その体験から長編『種穀記(しゅこくき)』(1951)を、また解放戦争の体験から『銅墻鉄壁(どうしょうてっぺき)』(1951)を書き、解放区の代表的作家の1人となる。解放後、皇甫(こうほ)村の農業合作化に参加、代表作『創業史』第一部(1960)、第二部上巻(1960~63年に断続して雑誌に発表)を書く。その優れた人物描写が邵荃麟(しょせんりん)の「中間人物」論(1964)に取り上げられたため文化大革命中迫害を受け、妻を亡くし、彼も健康を損なう。文革後重病のなかで『創業史』第一部と第二部上巻を改訂出版(1977)、第二部下巻(未定稿で1979年刊)の完成をみずに死去

[伊藤敬一]

『森茂訳『金城鉄壁』(銅墻鉄壁)(1953・藩陽民主出版社)』『人民文学研究会訳『創業史』全二冊(1964・新日本出版社)』

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改訂新版 世界大百科事典 「柳青」の意味・わかりやすい解説

柳青 (りゅうせい)
Liǔ Qīng
生没年:1916-78

現代中国の作家。本名劉蘊華。陝西省呉堡県の生れ。中学生時代から学生運動のかたわら創作を開始。1938年延安に赴き,毛沢東の《文芸講話》に決定的な影響を受け,それ以後は終始その忠実な実践者として農民とともに生きつつ,《種穀記》《金城鉄壁》などの長編を書いた。なかでも農業協同化を全面的に活写した《創業史》(1959)は,新中国成立後の最高傑作の一つとなったが,文化大革命で迫害されたため,全4部の構想のうち第2部なかばにして没した。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「柳青」の意味・わかりやすい解説

柳青
りゅうせい
Liu Qing

[生]1916.7.2.
[没]1978.6.13. 北京
中国の作家。本名,劉蘊華。陝西省呉堡県の人。早くから創作,また新聞の編集などに従事していたが,1938年延安におもむいて文化工作に参加。抗日戦争中は従軍して,のち短編小説集『地雷』に収録された多くの小説を書いた。第2次世界大戦後は西北に行き農民運動に従事,長編小説『種穀記』 (1947) を執筆,さらに解放後も下放して西安の近くの農村で生活した。 53年中国作家協会理事。 62年,巨編『創業史』第1部を執筆して高い評価を受けたが,四人組に迫害されて未完に終った。ほかに内戦を背景にした『銅牆鉄壁』 (51) などの著がある。

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