文芸問題に関する毛沢東(もうたくとう)の代表的著作『延安文芸座談会における講話』の略称。1942年、延安整風運動の一環として開かれた同座談会は、延安中央弁公庁の会議室で5月2日、8日、23日と3回全体会議をもつが、この書は、毛沢東の初日(2日)の冒頭発言(「引言」)と最終日(23日)の結語(「結論」)とをまとめたものである。43年10月19日付け『解放日報』に初めて公表され、以後、抗日辺区および新中国の文芸運動と知識人の思想改造運動の基本文献となった。『毛沢東選集』第三巻(1953)所収に基づく新版とそれ以前の旧版とにかなりの異同があるが、おもな内容は〔1〕文芸を人民大衆のためのものとし、党、無産階級、工農兵大衆の立場にたつ抗日統一戦線の文芸のあり方を論じ、また、〔2〕いかに人民大衆のための文芸を書くかについて、文芸の源泉は人民の生活にあり、作家・知識人は長期・無条件に人民の生活・闘争のなかに入って自己改造し、思想・感情まで工農兵と一体になることを説く。またこの観点から、普及と向上、政治と芸術・人間性論、光明と暗黒の題材、賛美と暴露、動機と効果、学習と創作などの問題を論じている。この著作は抗戦期に一定の積極的役割を果たしたが、その後、毛沢東思想の絶対化に伴い、その政治優先、題材主義、思想改造の理論などが極端に教条化されて、「文革」中の知識人迫害・文化否定の極左路線へ道を開いた。
[伊藤敬一]
『竹内好訳『文芸講話』(岩波文庫)』▽『毛沢東選集刊行会訳『文芸講話』(大月書店・国民文庫)』
1942年,毛沢東が延安の文芸座談会で行った講演。文化的に不毛に近い農村を根拠地として戦っていた当時の条件下で,毛沢東は,都会からやってきた芸術家に向かって,足下の農民に眼を向け(=文芸の階級性),労農兵に奉仕せよ,と説いた。これが,のちに新中国の文芸上の総方向とされたが,歴史的条件を無視してこれを機械的に適用しようとすることによって生ずる文芸界のひずみは否定できず,これが文芸の発展を阻むかせとなっているという見方もある。
執筆者:吉田 富夫
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…こうした状況を前にしてとまどう知識人に向かって,中国共産党は,大衆宣伝のための文芸工作者たるべく自己改造せよと呼びかけた。1942年には,延安で文芸座談会を開き,その席上毛沢東は有名な《文芸講話》を行って,知識人のおごりをすてて労働者,農民,兵士に学べと説き,〈人民に奉仕せよ〉と号令した。作家たちはこの方向に沿って農村に根を下ろし,〈自己改造〉に努めたが,やがて趙樹理の短編《小二黒の結婚》や《李有才の語りもの》(ともに1943),歌劇《白毛女》(集団創作。…
※「文芸講話」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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