栗島すみ子(読み)クリシマスミコ

デジタル大辞泉 「栗島すみ子」の意味・読み・例文・類語

くりしま‐すみこ【栗島すみ子】

[1902~1987]映画女優日本舞踊家。東京の生まれ。本名池田すみ子。映画虞美人草ぐびじんそう」に出演し、松竹スターとなる。引退後は日本舞踊に専念代表作に「さぬ仲」「船頭小唄」など。

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新撰 芸能人物事典 明治~平成 「栗島すみ子」の解説

栗島 すみ子
クリシマ スミコ


職業
女優 日本舞踊家

肩書
栗島派水木流宗家

本名
池田 すみ子

旧名・旧姓
栗島

別名
別名=水木 紅仙(ミズキ コウセン)

生年月日
明治35年 3月15日

出生地
東京府豊多摩郡渋谷村(東京都 渋谷区道玄坂町)

経歴
幼い頃より舞踊を習い舞台を踏む。大正10年松竹蒲田に入社。「虞美人草」の主演でデビュー、この悲劇ヒロインで一躍スターにのし上り、「電工と其妻」「思い妻」などに主演。池田義臣監督のデビュー作「生さぬ仲」に主演してからは、同監督とのコンビ作が多く、やがて結婚する。昭和10年「永久の愛」を最後に引退を声明、翌年退社。その後は舞踊劇団で活躍後、栗島派水木流の宗家として日舞に専念した。31年「流れる」で約20年ぶりに映画出演した。

受賞
紫綬褒章〔昭和43年〕

没年月日
昭和62年 8月16日 (1987年)

家族
夫=池田 義臣(映画監督),父=栗島 狭衣(新聞記者・文士劇俳優),祖父=綾瀬川 山左衛門(初代)(力士)

伝記
増殖するペルソナ―映画スターダムの成立と日本近代水野晴郎と銀幕の花々―日本映画の大女優たち女優事始め―栗島すみ子 岡田嘉子 夏川静枝 藤木 秀朗 著水野 晴郎 著林 靖治 編(発行元 名古屋大学出版会近代文芸社平凡社 ’07’96’86発行)

出典 日外アソシエーツ「新撰 芸能人物事典 明治~平成」(2010年刊)新撰 芸能人物事典 明治~平成について 情報

20世紀日本人名事典 「栗島すみ子」の解説

栗島 すみ子
クリシマ スミコ

大正・昭和期の女優,日本舞踊家 栗島派水木流宗家。



生年
明治35(1902)年3月15日

没年
昭和62(1987)年8月16日

出生地
東京府豊多摩郡渋谷村(現・東京都渋谷区道玄坂町)

本名
池田 すみ子

旧姓(旧名)
栗島

別名
別名=水木 紅仙(ミズキ コウセン)

主な受賞名〔年〕
紫綬褒章〔昭和43年〕

経歴
幼い頃より舞踊を習い舞台を踏む。大正10年松竹蒲田に入社。「虞美人草」の主演でデビュー、この悲劇のヒロインで一躍スターにのし上り、「電工と其妻」「思い妻」などに主演。池田義臣監督のデビュー作「生さぬ仲」に主演してからは、同監督とのコンビ作が多く、やがて結婚する。昭和10年「永久の愛」を最後に引退を声明、翌年退社。その後は舞踊劇団で活躍後、栗島派水木流の宗家として日舞に専念した。31年「流れる」で約20年ぶりに映画出演した。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「栗島すみ子」の意味・わかりやすい解説

栗島すみ子
くりしますみこ
(1902―1987)

映画女優、日本舞踊家。本名池田すみ子。東京生まれ。舞台俳優栗島狭衣(さごろも)の娘で、子供のころから舞台に出演。1921年(大正10)松竹蒲田(かまた)に入社、『虞美人草(ぐびじんそう)』でデビュー、純情可憐(かれん)な容姿が注目され一躍人気スターとなった。映画監督池田義信(よしのぶ)と結婚後も松竹のトップスターとして活躍、1937年(昭和12)の『淑女は何を忘れたか』に出演後引退した。代表作に『山へ帰る』(1921)、『船頭小唄(こうた)』『母』(1923)、『結婚学入門』『麗人』(1930)、『夜ごとの夢』(1933)など。1956年(昭和31)には『流れる』に特別出演した。舞踊家としては、6歳で水木(みずき)流に入門、16歳で水木歌紅の名で名取となり、1954年に東京水木会会長、1963年に水木紅仙と改名、活躍を続けた。

[長崎 一]

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「栗島すみ子」の解説

栗島すみ子 くりしま-すみこ

1902-1987 大正-昭和時代の映画女優。
明治35年3月15日生まれ。大正10年松竹蒲田(かまた)にはいり,小谷ヘンリー監督の「虞美人草(ぐびじんそう)」に主演。池田義信監督の「生(な)さぬ仲」「船頭小唄(こうた)」などでスターとなる。12年池田監督と結婚。昭和12年引退後は水木紅仙の名で日本舞踊に専念した。昭和62年8月16日死去。85歳。東京出身。本名は池田すみ子。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「栗島すみ子」の意味・わかりやすい解説

栗島すみ子
くりしますみこ

[生]1902.3.15. 東京
[没]1987.8.16. 東京
映画女優。本名池田すみ子。日本映画最初のスター女優。主演作品『船頭小唄』 (1922) 。

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367日誕生日大事典 「栗島すみ子」の解説

栗島 すみ子 (くりしま すみこ)

生年月日:1902年3月15日
大正時代;昭和時代の女優;日本舞踊家
1987年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内の栗島すみ子の言及

【スター】より

… 日本映画のスター・システムは初期の松竹蒲田映画とともに始まる。日本映画のスター第1号として知られる女優・栗島すみ子は,第1回主演作《虞美人草》(1921)以来すばらしい人気で,川田芳子,五月信子とともに初期蒲田の三大女優時代をつくった。この三大女優を一堂に集めた《母》(1924)が1924年大阪道頓堀に新築された当時東洋一の映画劇場〈松竹座〉で公開されたときに主演者たちが出席することになったが,そのとき,大阪駅に出迎えた人波は空前のことだといわれ,〈日本におけるスター・システム勃興期の記念すべき出来事〉になった(筈見恒夫《映画百年史》)。…

【日本映画】より

… これとは別に松竹は,1920年の《島の女(むすめ)》(木村錦花監督)を皮切りに商業主義による映画製作にとりかかった。この松竹第1回作品の撮影をしたのが,ハリウッド帰りのカメラマン・ヘンリー小谷で,蒲田撮影所のスタッフにアメリカの撮影技術を伝授し,みずから監督もした《虞美人草》(1921)はヒットして,主演の栗島すみ子を最初のスター女優にした。《虞美人草》は内容的には旧来の新派となんら変わらなかったが,松竹はこの路線の映画を量産するに至り,ヘンリー小谷は早くも21年に松竹を離れた。…

※「栗島すみ子」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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