桂枝雀(読み)カツラ シジャク

新撰 芸能人物事典 明治~平成 「桂枝雀」の解説

桂 枝雀(2代目)
カツラ シジャク


職業
落語家

本名
前田 達(マエダ トオル)

別名
前名=桂 小米

生年月日
昭和14年 8月13日

出生地
兵庫県 神戸市

学歴
神戸大学文学部〔昭和36年〕中退

経歴
高校時代からテレビの素人演芸会にでて、審査員の桂米朝を知り、昭和36年弟子入り。37年大阪の千日劇場(44年閉鎖)に小米でデビュー。48年2代目桂枝雀を襲名。全国的に人気がある上方落語界のスターとなった。定評のある演目に「宿がえ」「代書屋」「くやみ」などがある。のち趣味の英語が高じて「英語落語」なる新ジャンルを開拓、海外公演も行う。ついにはオリジナルの英語落語「ロボット・シズカ・チャン」が63年から英語の教科書(「ニュー・クリエイティブ・イングリッシュ」第一学習社)に掲載された。レコードに「桂枝雀十八番」など。またNHK「純ちゃんの応援歌」「ふたりっ子」、映画「ドグラ・マグラ」など俳優としても活躍。平成5年4月より相愛大学人文学部日本文化学科講師。6年弟子・桂南光らと共に上方落語協会を脱会。7年落語芝居カフカ「変身」、8年「女相撲―ハワイ大巡業」を上演。9年大阪と東京で枝雀ばなしの会を始める。9年頃からうつ病などで入退院を繰り返し、11年3月首つり自殺を図り、意識不明の重体のまま4月死亡した。第6回上方演芸の殿堂入り

受賞
芸術選奨文部大臣新人賞〔昭和57年〕,上方お笑い大賞(第16回)〔昭和62年〕,大阪芸術賞〔平成9年〕

没年月日
平成11年 4月19日 (1999年)

家族
妻=桂 枝代(三味線奏者),弟=マジカル たけし(奇術師),息子=Kazutomo(ミュージシャン),Cutt(ミュージシャン)

伝記
落語大看板列伝―枝雀・文治・柳昇・馬生・小さん哲学的落語家!上方お笑い系365日名人とは何か笑わせて笑わせて桂枝雀愛・夢ばなし―私の出会った素敵な人たち笑いのゆくえ上方落語 米朝一門 おさだまり噺男と女の双曲線枝雀とヨメはんと七人の弟子桂枝雀のいけいけ枝雀、気嫌よく師弟―教育は出会いだ芸人女房伝無芸大食大睡眠この人を見よ。―ブルータスたちの芳醇な自叙伝落語長屋の知恵 落語ファン倶楽部 編平岡 正明 著相羽 秋夫 著延広 真治,山本 進,川添 裕 編上田 文世 著佐々木 愛 編著今村 荘三 著小佐田 定雄 著石川 泰司 編著桂 枝雀 著桂 枝雀 著佐高 信 著島崎 恭子 著阿佐田 哲也 著矢野 誠一 著(発行元 白夜書房筑摩書房東方出版岩波書店淡交社教育史料出版会東方出版弘文出版河合出版飛鳥新社毎日新聞社講談社集英社集英社マガジンハウス青蛙房 ’09’05’05’03’03’01’99’91’91’90’88’88’88’88’88’86発行)


桂 枝雀(初代)
カツラ シジャク


職業
落語家

本名
入江 清吉

別名
前名=喜代丸

生年月日
元治1年

出生地
大坂(大阪府)

経歴
大坂・上町の足袋商の子。11歳の時から質屋に奉公していたが、主人の死により家に戻り家業を手伝いながら、地歌や舞の稽古をする。素人落語が盛んになると緑連に加わり、喜代丸の名で高座に出るようになった。明治17年、2代目桂文枝に弟子入りし、桂枝雀を名乗る。31年真打に昇進。桂派幹部の一人として活躍。その後、相つぐ幹部連の死亡や引退で桂派はゆれ、45年6月、桂派は寿々女会に改組した。大正2年11月寿々女会を脱会、一時新桂派に身を置くが、のち反対派に迎えられ頭取として君臨。2代目立花家千橘と共に反対派を盛り立て、のちの吉本興業の礎を築いた。「稽古屋」「尻餅」など馬鹿噺をやらせてこれほどの上手はないと評された。

没年月日
昭和3年 11月22日 (1928年)

出典 日外アソシエーツ「新撰 芸能人物事典 明治~平成」(2010年刊)新撰 芸能人物事典 明治~平成について 情報

20世紀日本人名事典 「桂枝雀」の解説

桂 枝雀(2代目)
カツラ シジャク

昭和・平成期の落語家



生年
昭和14(1939)年8月13日

没年
平成11(1999)年4月19日

出生地
兵庫県神戸市

本名
前田 達(マエダ トオル)

別名
前名=桂 小米

学歴〔年〕
神戸大学文学部〔昭和36年〕中退

主な受賞名〔年〕
芸術選奨文部大臣新人賞〔昭和57年〕,上方お笑い大賞(第16回)〔昭和62年〕,大阪芸術賞〔平成9年〕

経歴
高校時代からテレビの素人演芸会にでて、審査員の桂米朝を知り、昭和36年弟子入り。37年大阪の千日劇場(44年閉鎖)に小米でデビュー。48年2代目桂枝雀を襲名。全国的に人気がある上方落語界のスターとなった。定評のある演目に「宿がえ」「代書屋」「くやみ」などがある。のち趣味の英語が高じて「英語落語」なる新ジャンルを開拓、海外公演も行う。ついにはオリジナルの英語落語「ロボット・シズカ・チャン」が63年から英語の教科書(「ニュー・クリエイティブ・イングリッシュ」第一学習社)に掲載された。レコードに「桂枝雀十八番」など。またNHK「純ちゃんの応援歌」「ふたりっ子」、映画「ドグラ・マグラ」など俳優としても活躍。平成5年4月より相愛大学人文学部日本文化学科講師。6年弟子・桂南光らと共に上方落語協会を脱会。7年落語芝居カフカ「変身」、8年「女相撲―ハワイ大巡業」を上演。9年大阪と東京で枝雀ばなしの会を始める。9年頃からうつ病などで入退院を繰り返し、11年3月首つり自殺を図り、意識不明の重体のまま4月死亡した。第6回上方演芸の殿堂入り。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「桂枝雀」の意味・わかりやすい解説

桂枝雀(2世)
かつらしじゃく[にせい]

[生]1939.8.13. 兵庫,神戸
[没]1999.4.19. 大阪
落語家。本名前田達(とおる)。父の死で高校進学をあきらめ三菱電機に入社。その後,定時制高等学校に通い,手品師の弟と組んで素人参加演芸番組で漫才を演じて賞金を稼ぐ。神戸大学文学部を中退し,1961年 3世桂米朝に入門,桂小米となる。独自の芸風で頭角を現し,1973年 2世桂枝雀を襲名。その頃から人気が急上昇,派手な動作と多彩な表情で落語に興味のなかった多くの人たちをひきつけた。1979年テレビ番組『枝雀寄席』(朝日放送 ABC)で落語と司会を務め,1981年大阪サンケイホールで 6日間連続の独演会を成功させた。東京にも進出し,人気は全国的となり,1984年歌舞伎座で独演会を開催。英語落語や新作落語にも取り組み,テレビドラマ『なにわの源蔵事件帖』(日本放送協会 NHK),映画『ドグラ・マグラ』に主演するなど活躍。しかし,笑いに対して生真面目に取り組む姿勢からうつ病となり,自殺をはかり心不全で亡くなった。得意ネタは『代書屋』『鷺捕り』『親子酒』,新作『雨乞い源兵衛』(小佐田定雄作)など 60席あまり。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「桂枝雀」の解説

桂枝雀(2代) かつら-しじゃく

1939-1999 昭和後期-平成時代の落語家。
昭和14年8月13日生まれ。36年3代桂米朝に入門,小米を名のる。48年2代枝雀を襲名。古典落語を現代風にアレンジすることで新境地を開拓。独自の笑いの理論をもち,英語落語に挑戦してアメリカでの興行も成功させた。平成11年4月19日死去。59歳。兵庫県出身。神戸大中退。本名は前田達。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「桂枝雀」の解説

桂 枝雀(2代目) (かつら しじゃく)

生年月日:1939年8月13日
昭和時代;平成時代の落語家
1999年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内の桂枝雀の言及

【落語】より

…それは,主要なネタを東京に奪われ,上方弁が方言化して鑑賞を妨げ,そのうえ,わかりやすい上方弁の漫才に追い打ちをかけられたためだった。当時の上方では,初代桂枝雀(しじやく)(1863‐1928),初代桂枝太郎(1867‐1927)の2老大家,東西落語に通じた2代桂三木助,俗に初代という笑いの天才桂春団治(はるだんじ)などが活躍した。
[昭和の落語界]
 昭和初期の東京落語界には,〈兵隊物〉はじめ新作で売り出した柳家金語楼,風刺と警句の5代三升家小勝(みますやこかつ)(1858‐1939),細緻な芸の5代三遊亭円生,渋い6代三笑亭可楽,重厚な8代桂文治,飄逸な味の4代柳家小さんなどがいた。…

※「桂枝雀」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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