桂湖村(読み)カツラコソン

デジタル大辞泉 「桂湖村」の意味・読み・例文・類語

かつら‐こそん【桂湖村】

[1868~1938]中国文学者。早稲田大学教授。新潟の生まれ。名は五十郎。漢詩をよくし、陶器研究でも知られた。著「漢籍解題」。

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精選版 日本国語大辞典 「桂湖村」の意味・読み・例文・類語

かつら‐こそん【桂湖村】

  1. 中国文学者。本名祐孝。通称五十郎。新潟県出身。早稲田大学教授。根岸派に属し漢詩にすぐれ、書画・陶器の研究でも知られる。著「漢籍解題」。明治元~昭和一三年(一八六八‐一九三八

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「桂湖村」の意味・わかりやすい解説

桂湖村
かつらこそん
(1868―1938)

漢文学者。名は五十郎。新潟県の新津(にいつ)の人。郷里の福島潟にちなんで湖村と号した。国学漢学の家に生まれ早くから和漢の学に造詣(ぞうけい)が深かった。上京して東京専門学校(早稲田(わせだ)大学の前身)専修英語科に入り、1892年(明治25)卒業して日本新聞社に客員社友として招かれた。その後、中国に渡り、書画陶器の研究を行い、その収集家、鑑賞家としても知られた。初め東洋大学、国学院大学に職を奉じ、のち早稲田大学教授となり漢詩文を講じた。漢詩壇では、森春濤(しゅんとう)らの清(しん)詩派に対抗し、国分青厓(こくぶせいがい)、石田東陵(とうりょう)らとともに漢魏(かんぎ)の詩を高唱して注目された。森鴎外(おうがい)から作詩の師として重んじられたほか、正岡子規(しき)、三宅雪嶺(みやけせつれい)、陸羯南(くがかつなん)、中村不折(ふせつ)ら根岸派文士と親交があり、清朝戊戌(ぼじゅつ)の政変で亡命中の康有為(こうゆうい)、梁啓超(りょうけいちょう)とも詩を唱和している。著書『漢籍解題』は広く学界に迎えられ、久しく名著誉れがあった。著書にはほかに『歴代漢詩評釈』がある。

[村山吉廣]

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20世紀日本人名事典 「桂湖村」の解説

桂 湖村
カツラ コソン

明治〜昭和期の漢学者,漢詩人 早稲田大学教授。



生年
明治1年10月16日(1868年)

没年
昭和13(1938)年4月3日

出生地
越後国新津(新潟県)

本名
桂 五十郎(カツラ イソロウ)

学歴〔年〕
東京専門学校専修英語科〔明治25年〕卒

経歴
早くから漢学を学び、明治25年日本新聞社の客員社友となる。そのかたわら漢学者、漢詩人として活躍し、東洋大学、国学院大学を経て早大教授となった。森鷗外に漢詩の手ほどきをしたこともある。著書に「漢籍解題」などがある。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「桂湖村」の解説

桂湖村 かつら-こそん

1868-1938 明治-昭和時代前期の漢学者。
明治元年10月16日生まれ。日本新聞社に客員社友としてまねかれる。のち中国で書画,陶器を研究。帰国後,東洋大,国学院大でおしえ,ついで早大教授となった。昭和13年4月3日死去。71歳。越後(えちご)(新潟県)出身。東京専門学校(現早大)卒。本名は五十郎。別号に雷庵など。著作に「漢籍解題」など。

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世界大百科事典(旧版)内の桂湖村の言及

【漢詩文】より

…また1894年に夭折した中野逍遥も強烈な恋愛感情を漢詩に託した詩人として注目される。森春濤・槐南らの清詩派に対抗し,漢・魏の古体詩を主唱して現れたのは副島種臣(そえじまたねおみ)(蒼海)であり,国分青厓,桂湖村,石田東陵らはこれに和してしだいに勢力を拡大していった。詩人たちの集りである吟社には下谷吟社(大沼枕山),茉莉吟社(まつりぎんしや)(森春濤),麴坊(こうじまち)吟社(岡本黄石)などがあり,それぞれに雑誌を発行するなどして世の好みに投じた。…

※「桂湖村」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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