漢文学者。名は五十郎。新潟県の新津(にいつ)の人。郷里の福島潟にちなんで湖村と号した。国学、漢学の家に生まれ早くから和漢の学に造詣(ぞうけい)が深かった。上京して東京専門学校(早稲田(わせだ)大学の前身)専修英語科に入り、1892年(明治25)卒業して日本新聞社に客員社友として招かれた。その後、中国に渡り、書画陶器の研究を行い、その収集家、鑑賞家としても知られた。初め東洋大学、国学院大学に職を奉じ、のち早稲田大学教授となり漢詩文を講じた。漢詩壇では、森春濤(しゅんとう)らの清(しん)詩派に対抗し、国分青厓(こくぶせいがい)、石田東陵(とうりょう)らとともに漢魏(かんぎ)の詩を高唱して注目された。森鴎外(おうがい)から作詩の師として重んじられたほか、正岡子規(しき)、三宅雪嶺(みやけせつれい)、陸羯南(くがかつなん)、中村不折(ふせつ)ら根岸派文士と親交があり、清朝戊戌(ぼじゅつ)の政変で亡命中の康有為(こうゆうい)、梁啓超(りょうけいちょう)とも詩を唱和している。著書『漢籍解題』は広く学界に迎えられ、久しく名著の誉れがあった。著書にはほかに『歴代漢詩評釈』がある。
[村山吉廣]
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報
…また1894年に夭折した中野逍遥も強烈な恋愛感情を漢詩に託した詩人として注目される。森春濤・槐南らの清詩派に対抗し,漢・魏の古体詩を主唱して現れたのは副島種臣(そえじまたねおみ)(蒼海)であり,国分青厓,桂湖村,石田東陵らはこれに和してしだいに勢力を拡大していった。詩人たちの集りである吟社には下谷吟社(大沼枕山),茉莉吟社(まつりぎんしや)(森春濤),麴坊(こうじまち)吟社(岡本黄石)などがあり,それぞれに雑誌を発行するなどして世の好みに投じた。…
※「桂湖村」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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