幕末維新期の蘭方(らんぽう)種痘医。越後(えちご)国蒲原(かんばら)郡新発田(しばた)地蔵堂(新潟県燕(つばめ)市分水(ぶんすい)地区)、新発田藩公厩(おうまや)支配村松喜右衛門正親の二男。幼名は八五郎・和(かず)、字(あざな)は好爵(こうしゃく)。18歳のとき江戸に出て坪井信道(しんどう)に師事、1841年(天保12)桑田玄真の養嗣子(ようしし)となり、翌1842年深川で開業。養父に種痘法を学び、1849年(嘉永2)牛痘苗(とうびょう)を得て幼児らに接種、このとき立斎と号した。疱瘡(ほうそう)絵や子守歌に託して啓蒙(けいもう)を続け、種痘を施した人は終生7万人に及んだという。1857年(安政4)蝦夷地(えぞち)で痘瘡流行のため、幕命を得て渡り、7000人に接種した。江戸に帰り種痘を実施中、慶応(けいおう)4年7月27日急逝。著作に『牛痘発蒙』『引痘要略解』『愛育茶譚(ちゃたん)』など。墓所は東京都台東(たいとう)区橋場保元(ほうげん)寺(法源寺)。
[末中哲夫]
『日本学士院日本科学史刊行会編『明治前日本医学史5』(1957・日本学術振興会/複製増訂版・1978・日本古医学資料センター)』
(深瀬泰旦)
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