院内銀山(読み)いんないぎんざん

日本大百科全書(ニッポニカ)「院内銀山」の解説

院内銀山
いんないぎんざん

出羽(でわ)国雄勝(おがち)郡院内(秋田県湯沢市院内銀山町)に開かれた山。1606年(慶長11)に村山宗兵衛(そうべえ)らが発見、秋田藩直営(直山(じきやま))となる。1619年までは運上銀年200貫以上、人口1万の鉱山町として繁栄した。元和(げんな)・寛永(かんえい)期(1615~44)の運上銀は150~50貫を上下し、その後はしだいに衰退した。初期には山奉行(やまぶぎょう)梅津政景(うめづまさかげ)により鉱山行政全般の確立が図られたが、1725年(享保10)には直山から請山(うけやま)となり山師の請負になった。1817年(文化14)以後ふたたび直山となり、生産額は増加し、33年(天保4)から10年間、銀が毎年1000貫を超え、金も30~40貫に及んだ。明治以降は小野組経営や工部省官営を経て、1885年(明治18)古河(ふるかわ)鉱業会社(現古河機械金属)の経営となり、一時は銀産額年間4100貫に達したが、1921年(大正10)には休山となり、以後、操業再開されたが、1954年(昭和29)閉山した。

[村上 直]

『小葉田淳著『日本鉱山史の研究』(1968・岩波書店)』

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典「院内銀山」の解説

院内銀山
いんないぎんざん

江戸時代から発展した秋田県湯沢市にある銀山。 17世紀初頭に発見されたものといわれる。秋田藩が 19世紀初めに梅津政景らを用いて直轄経営し,天保年間 (1830~44) には相当量の銀を産出し繁栄した (→梅津政景日記 ) 。明治維新後,1874年小野組が経営したが破産。明治政府が直轄し,さらに産出不振のため,1885年古河市兵衛に払い下げられた。古河のもとにあって銀山の産出額は増大し,払い下げ当時の産銀 840貫 (3.15t) から 1895年には 4800貫 (18t) と激増し,この時期に最盛期を画した。

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百科事典マイペディア「院内銀山」の解説

院内銀山【いんないぎんざん】

秋田県雄勝(おがち)郡雄勝町(現・湯沢市)にあった銀山。かつては石見銀山生野銀山とならぶ大銀山。1606年ごろの発見といわれ,秋田藩直営のもとに採掘,初期には梅津政景が院内銀山奉行として手腕をふるった。当時,幕府の運上銀は200貫を超え,人口1万人の銀山町として栄えた。天保年間(1830年−1844年)には月100貫の銀を産した。1885年以後,古河鉱業の経営により最盛期を迎えたが,良鉱を掘りつくし,1921年に休山となり1954年閉山した。
→関連項目梅津政景日記古河市兵衛

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旺文社日本史事典 三訂版「院内銀山」の解説

院内銀山
いんないぎんざん

秋田県雄勝郡雄勝町にあった,江戸初期以来の銀山
慶長年間(1596〜1615)の創業で,秋田藩の直営のもとで大銀山となった。寛永(1624〜44)以後一時停滞,幕末の天保年間(1830〜44)に最高の産出を示した。明治維新以後,経営は小野組から明治政府,そして古河市兵衛と移り,現在は休山。

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精選版 日本国語大辞典「院内銀山」の解説

いんない‐ぎんざん ヰンナイ‥【院内銀山】

秋田県湯沢市南部にあった銀山。慶長一一年(一六〇六)に発見。初期は、銀の産出量が多く、近世、秋田藩直山(じきやま)となり、多額の運上銀を幕府に納めていた。明治維新後は政府直営となり、のち、古河鉱業の経営となったが、昭和二九年(一九五四)閉山。

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デジタル大辞泉プラス「院内銀山」の解説

院内銀山

秋田県湯沢市にあった銀山。1606年発見。最盛期の江戸時代後期に「天保の盛山」と呼ばれ国内最大の産出量を誇った。1954年閉山。

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デジタル大辞泉「院内銀山」の解説

いんない‐ぎんざん〔ヰンナイ‐〕【院内銀山】

秋田県湯沢市の銀山。慶長11年(1606)発見、江戸時代は秋田藩の直轄となり産出量が多かった。昭和29年(1954)閉山。

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世界大百科事典 第2版「院内銀山」の解説

いんないぎんざん【院内銀山】

秋田県雄勝郡雄勝町院内銀山町にある銀山。JR院内駅から西へ5kmの地点で雄物川上流の十分一沢川に合流する銀山川の谷間に広がる。17世紀初頭から20世紀初めまで石見銀山,生野銀山と並ぶ大銀山であった。鉱床は,第三紀のレキ岩,凝灰岩などに覆われたプロピライト(変朽安山岩)中に胎する割れ目充てん鉱床で,数条の鉱脈からなり,自然銀,ゼイ銀鉱,濃紅銀鉱などの銀鉱物を多く含み,金を伴う。
[沿革]
 1606年(慶長11)に越前敦賀の村山宗()兵衛ら4人の浪人が発見。

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