出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報 | 凡例
Sponserd by 
梅照院
ばいしよういん
市街地中心部高台の南端にあり、当地は昔は木崎山といって藩の留山であった。真言宗豊山派で白鳥山北野寺と号する。本尊は十一面観音。
「新編常陸国誌」に「梅照院 真言宗、島宝金剛院末、(中略)除地一石四斗六升七合、元ハ湊華蔵院ノ末寺ナリ、初ハ額田村ニアリテ、梅竜院ト号ス、後コヽニ移サル、本尊十一面観音ハ古代里宮ニアリシヲ、当寺ヘ寄付セラル、又当寺ニ天神宮アリ、相伝フ源義家奥羽征伐ノ時勧請セシモノナリトゾ」と記され、寛文三年(一六六三)の開基帳(彰考館蔵)には、「此寺者昔古額田村ニ御座候を七拾五年以前己丑年佐竹義重之御代額田一乱故宥甚ト申先師太田へ引越」とある。
梅照院
ばいしよういん
[現在地名]岩槻市太田一丁目
旧岩槻城下惣構の諏訪口北側に所在する。長慶山と号し、日蓮宗。本尊は一塔両尊で、また日蓮像を安置する。もとは池上本門寺の末寺。寺伝によると、天正六年(一五七八)に七〇歳で没した梅照院日如によって創立されたという。本門寺の一二世日惺が、当寺所蔵の弘安五年(一二八二)日蓮筆とされる十界曼荼羅について、文禄四年(一五九五)に認めた極書(裏書)には「武州岩付長慶山妙広寺梅照院常住宝物也」とあるから、当初は妙広寺と称していたようである。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
Sponserd by 