梅谷村(読み)うめだにむら

日本歴史地名大系 「梅谷村」の解説

梅谷村
うめだにむら

[現在地名]木津町大字梅谷

奈良山ならやま丘陵の谷あいに位置する。東は山、北は山を隔てて鹿背山かせやま村、南は奈良山を隔てて大和国添上そえかみ川上かわかみ(現奈良市)、西は市坂いちさか村。奈良山丘陵から北西に流れ木津川に注ぐ井関いぜき川に沿って上流に上梅谷かみうめだに、下流に下梅谷の二集落がある。村内を大和国境から高田たかだ(現加茂町)へ抜け伊賀方面に至る道が通る。木津郷の一。

地名の初見は「今昔物語集」巻一三「比叡山僧光日、読誦法花語」で、僧光日が「梅谷ト云フ所ニ籠居テ、年来法花経ヲ読誦シテ、専ニ仏道ヲ修行ス」と記す。一条兼良の美濃国への旅を綴る「ふち河の記」に、文明五年(一四七三)五月「さるほどに二日のあけがたに、ならの京を立て般若寺さかをこえ、梅谷などいひて、人はなれこころすごき所々をへて」とあり、梅谷の集落はまだなかったことがわかる。


梅谷村
うめたにむら

[現在地名]垂井町梅谷

市尾いちのお村の北に位置し、村域より梅谷川が発する。池田いけだ山地片山かたやま(現揖斐郡池田町)に越える梅谷越は善南寺ぜんなんじ越ともいい、日本武尊の伊吹征討の経路とも伝える。その経路の一つ呂久ろく(現本巣郡巣南町)に残るめくら太鼓の民話が当地にもある。梅谷越は谷汲山華厳けごん寺への近道で、中山道垂井宿からこの峠道に至る筋には谷汲道と刻む道標が多い。岩手氏系図(美濃国諸家系譜)に梅谷がみえ、応永二〇年(一四一三)岩手氏が領していた。慶長郷帳に村名がみえ、高三四二石余。元和二年(一六一六)の村高領知改帳では幕府領


梅谷村
うめだにむら

[現在地名]福知山市字梅谷

由良川の支流まき川中流にあり、東は猪野々いのの村・宮垣みやがき村、西は夜久やく井田いだ(現天田郡夜久野町)に接する。村域は牧川の南北にまたがるが、集落は牧川の左岸にあり、但馬街道に沿っている。

福知山藩領で、「丹波志」に高二五五石と記し、「梅谷ノ庄 宮垣 猪野々 田(和) 上小田 下小田 十二 野(端)」とある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

今日のキーワード

プラチナキャリア

年齢を問わず、多様なキャリア形成で活躍する働き方。企業には専門人材の育成支援やリスキリング(学び直し)の機会提供、女性活躍推進や従業員と役員の接点拡大などが求められる。人材の確保につながり、従業員を...

プラチナキャリアの用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android