デジタル大辞泉
「梶常吉」の意味・読み・例文・類語
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梶常吉 (かじつねきち)
生没年:1803-83(享和3-明治16)
幕末~明治初期の七宝工。尾張藩士の家に生まれ,鍍金を業とする恒川家に養子となり,金属焼付けを学ぶ。後に,伝統的な七宝技術によることなく,オランダ渡りの七宝器を分析して独学により尾張七宝をつくりあげ,藩の御雇工人となる。弟子の林庄五郎,その弟子塚本貝助(ばいすけ)などの努力により,名古屋地方はその後七宝の一大産地として発展し,七宝器は明治期には重要な輸出品として量産された。明治以降の七宝家のほとんどは梶常吉の系統に属し,近代七宝の祖といわれる。
執筆者:鈴木 規夫
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
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梶常吉 かじ-つねきち
1803-1883 江戸後期-明治時代の七宝(しっぽう)工。
享和3年5月生まれ。尾張(おわり)(愛知県)の庄屋恒川家の養子となり,鍍金(ときん)業をいとなむ。オランダの七宝を基に研究して天保(てんぽう)3年(1832)その製法を会得し,わが国の近代七宝焼発達の基礎をつくった。その技術は林庄五郎,塚本貝助らにうけつがれた。明治16年9月20日死去。81歳。尾張出身。本姓は加地。
出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例
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世界大百科事典(旧版)内の梶常吉の言及
【七宝】より
…江戸中期には京都に高槻(たかつき)七宝が7代つづき,また加賀七宝,近江七宝なども知られている。幕末天保(1830‐44)のころには,尾張国服部村の梶常吉(かじつねきち)(1803‐83)がオランダ七宝を研究し,その技を会得した。現在この付近は[七宝町]と呼ばれて存在している。…
【濤川惣助】より
…下総旭町(現,千葉県旭市)に生まれ,若くして江戸へ出て職を転々としたのち,七宝技術を習得した。七宝技術は江戸時代末に,尾張の梶常吉(1803‐83)がオランダ七宝を研究し再興させていたが,濤川は梶に学んだ塚本貝助(1828‐97)を招き,またドイツ人応用化学者G.ワーグナーの助言を得て七宝技術を革新し,世界的評価を得るまでに至った。1879年の第2回内国勧業博覧会で名誉金賞を受けた〈春月栖烏図額〉〈芳野川図花瓶〉は有線七宝によるものであったが,この後,無線七宝を完成させる。…
※「梶常吉」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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