七宝作家。下総旭町(現,千葉県旭市)に生まれ,若くして江戸へ出て職を転々としたのち,七宝技術を習得した。七宝技術は江戸時代末に,尾張の梶常吉(1803-83)がオランダ七宝を研究し再興させていたが,濤川は梶に学んだ塚本貝助(1828-97)を招き,またドイツ人応用化学者G.ワーグナーの助言を得て七宝技術を革新し,世界的評価を得るまでに至った。1879年の第2回内国勧業博覧会で名誉金賞を受けた〈春月栖烏図額〉〈芳野川図花瓶〉は有線七宝によるものであったが,この後,無線七宝を完成させる。従来の七宝は嵌入七宝や有線七宝によって,唐草や幾何文様をあらわすものであったが,無線七宝により日本画の題材である花鳥風月,山水人物をあらわす絵様七宝が創始された。また菊池容斎門下の日本画家渡辺省亭(せいてい)(1851-1918)を図案に起用,釉薬の濃淡,ぼかしなどを駆使した作品は好評を博した。有線七宝の並河靖之と並び称される。七宝界への貢献により,91年帝室技芸員に推された。
執筆者:郷家 忠臣
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明治の七宝(しっぽう)工芸家。千葉県蛇園(へびその)村(現旭(あさひ)市)に生まれる。上京して七宝製作に携わる。当時七宝は、わが国に西欧の科学技術をもたらしたG・ワグネルの指導のもとに、東京・牛込(うしごめ)のアーレンス商会が手がけていたが、同商会の廃止後、惣助はその工人たちとさらにくふうを加えて従来の有線七宝を改良し、1887年(明治20)ごろには無線七宝とよばれる描画の輪郭に真鍮(しんちゅう)の細線を使わず、マット調の光沢のない絵の具を開発して、濃淡やぼかしによる日本画風の作品を表現し、七宝技術に新境地を開拓した。その技巧は1893年のシカゴ、コロンブス博覧会への出品前後が全盛期で、1896年には帝室技芸員に推挙された。
[矢部良明]
(矢部良明)
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…現在この付近は七宝町と呼ばれて存在している。梶の出現で七宝工芸は大きく飛躍し,彼の弟子の塚本貝助(1828‐97)は,明治初年来日したドイツ人ワーグナーGottfried Wagner(1830‐92)の指導でその技術を大きく改良させ,さらに東京の濤川惣助(なみかわそうすけ)(1847‐1910)は無線七宝を考案,京都では並河靖之(なみかわやすゆき)(1845‐1927)が日本画風の七宝に特色を出し,名古屋では安藤重兵衛(1876‐1953)らが出て盛況を呈した。【由水 常雄】
[西洋]
古代における七宝については不明な点が多い。…
※「濤川惣助」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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