濤川惣助(読み)ナミカワソウスケ

デジタル大辞泉 「濤川惣助」の意味・読み・例文・類語

なみかわ‐そうすけ〔なみかは‐〕【濤川惣助】

[1847~1910]七宝作家。下総の人。帝室技芸員輪郭線のない無線七宝技法開発有線七宝並河靖之と並び称された。パリ万博などに出品し、その絵画的な作品は世界的な評価を獲得した。

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改訂新版 世界大百科事典 「濤川惣助」の意味・わかりやすい解説

濤川惣助 (なみかわそうすけ)
生没年:1847-1910(弘化4-明治43)

七宝作家。下総旭町(現,千葉県旭市)に生まれ,若くして江戸へ出て職を転々としたのち,七宝技術を習得した。七宝技術は江戸時代末に,尾張梶常吉(1803-83)がオランダ七宝を研究し再興させていたが,濤川は梶に学んだ塚本貝助(1828-97)を招き,またドイツ人応用化学者G.ワーグナーの助言を得て七宝技術を革新し,世界的評価を得るまでに至った。1879年の第2回内国勧業博覧会で名誉金賞を受けた〈春月栖烏図額〉〈芳野川図花瓶〉は有線七宝によるものであったが,この後,無線七宝を完成させる。従来の七宝は嵌入七宝や有線七宝によって,唐草や幾何文様をあらわすものであったが,無線七宝により日本画の題材である花鳥風月,山水人物をあらわす絵様七宝が創始された。また菊池容斎門下の日本画家渡辺省亭(せいてい)(1851-1918)を図案に起用,釉薬濃淡,ぼかしなどを駆使した作品は好評を博した。有線七宝の並河靖之と並び称される。七宝界への貢献により,91年帝室技芸員に推された。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「濤川惣助」の意味・わかりやすい解説

濤川惣助
なみかわそうすけ
(1847―1910)

明治の七宝(しっぽう)工芸家。千葉県蛇園(へびその)村(現旭(あさひ)市)に生まれる。上京して七宝製作に携わる。当時七宝は、わが国に西欧の科学技術をもたらしたG・ワグネルの指導のもとに、東京牛込(うしごめ)のアーレンス商会が手がけていたが、同商会の廃止後、惣助はその工人たちとさらにくふうを加えて従来の有線七宝を改良し、1887年(明治20)ごろには無線七宝とよばれる描画の輪郭に真鍮(しんちゅう)の細線を使わず、マット調の光沢のない絵の具を開発して、濃淡やぼかしによる日本画風の作品を表現し、七宝技術に新境地を開拓した。その技巧は1893年のシカゴ、コロンブス博覧会への出品前後が全盛期で、1896年には帝室技芸員に推挙された。

[矢部良明]

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朝日日本歴史人物事典 「濤川惣助」の解説

濤川惣助

没年:明治43.2.9(1910)
生年:弘化4(1847)
明治期の東京を代表する七宝作家。京都の並河靖之と双璧をなした。下総海上郡(千葉県)の農家に生まれ,18歳のとき江戸に出て酒商を営む。のち家業を弟に譲り瀬戸,岡崎,名古屋などの陶業を視察して廻る。七宝が欧米で盛んに賞美されていることを知り,明治10(1877)年アーレンス商会の七宝工場を譲り受け海外輸出を計ったのが,七宝との最初の出会いである。努力の後,銅線を輪郭線とする伝統的な七宝技法を改め,絵の具を使って絵画と同じように自由に絵模様を表す,いわゆる無線七宝を開発した。暈しも完成し,絵画と同じ表現力を七宝に持たせた。その成果は欧米で大好評を得,明治22年のパリ大博覧会,23年の内国勧業博覧会などで受賞し,29年には並河靖之と共に帝室技芸員にあげられた。墓は東京都港区の青山墓地にある。代表作として「七宝小禽図盆」(東京芸大蔵),「七宝花盛器」(宮内庁蔵),「七宝富岳図」(東京国立博物館蔵)などがある。<参考文献>鈴木則夫・榊原悟『日本の七宝』

(矢部良明)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「濤川惣助」の解説

濤川惣助 なみかわ-そうすけ

1847-1910 明治時代の七宝作家。
弘化(こうか)4年生まれ。明治17年アーレンス商会の七宝工場をゆずりうける。輪郭線をなくした無線七宝の技法を完成し,絵画的表現に成功。パリ万国博覧会や内国勧業博覧会に出品して評価をえる。有線七宝の並河靖之(やすゆき)とならび称された。帝室技芸員。明治43年2月9日死去。64歳。下総(しもうさ)海上郡(千葉県)出身。号は魁香。作品に「七宝小禽図(しょうきんず)盆」「七宝花盛器」など。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「濤川惣助」の意味・わかりやすい解説

濤川惣助
なみかわそうすけ

[生]弘化4(1847).下総
[没]1910.2. 東京
七宝作家。 1878年東京日本橋で七宝制作を始めた。 89年頃無線七宝ならびに釉 (うわぐすり) によるぼかし法などを完成,日本画の画趣そのままを七宝焼で表現し,絵様七宝を創始。内国勧業博覧会や外国の博覧会に出品して内外で名声を高めた。 95年緑綬褒章を受け,96年帝室技芸員となった。主要作品は『七宝花盛器』 (宮内庁三の丸尚蔵館) 。

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百科事典マイペディア 「濤川惣助」の意味・わかりやすい解説

濤川惣助【なみかわそうすけ】

七宝作家。下総(しもうさ)の生れ。梶常吉に始まる新しい七宝の技法を受けついで東京に七宝工場を設立,無線七宝をつくり出し,濃淡のある彩色を可能にした。日本の七宝を世界的に有名にした。

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世界大百科事典(旧版)内の濤川惣助の言及

【七宝】より

…現在この付近は七宝町と呼ばれて存在している。梶の出現で七宝工芸は大きく飛躍し,彼の弟子の塚本貝助(1828‐97)は,明治初年来日したドイツ人ワーグナーGottfried Wagner(1830‐92)の指導でその技術を大きく改良させ,さらに東京の濤川惣助(なみかわそうすけ)(1847‐1910)は無線七宝を考案,京都では並河靖之(なみかわやすゆき)(1845‐1927)が日本画風の七宝に特色を出し,名古屋では安藤重兵衛(1876‐1953)らが出て盛況を呈した。【由水 常雄】
[西洋]
 古代における七宝については不明な点が多い。…

※「濤川惣助」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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