森口華弘(読み)もりぐちかこう

日本大百科全書(ニッポニカ) 「森口華弘」の意味・わかりやすい解説

森口華弘
もりぐちかこう
(1909―2008)

友禅(ゆうぜん)染め作家。滋賀県野洲(やす)郡守山(もりやま)町(現守山市)に生まれる。本名平七郎。12歳で京都に出て薬局に勤めたが、3年後の1924年(大正13)周囲の勧めで3代目友禅師・中川華邨(かそん)(1882―1967)の門下となる。かたわら京都四条派の画家・疋田芳沼(ひきたほうしょう)(1878―1934)に日本画を学び、1939年(昭和14)独立して工房をもつ。資質の華々しい開花は第二次世界大戦後で、主として日本伝統工芸展で活躍。清新華麗な作風で、混迷した戦後の染色界をよみがえらせた。江戸時代から伝わる友禅染めの一技法としてこれまで脇役(わきやく)でしかなかった撒糊(まきのり)を作品の重要な構成要素に位置づけ、独自の技法として蒔糊(まきのり)と名づけ、数々の優品を生み出している。第2回日本伝統工芸展(1955)で朝日新聞社賞を受けた友禅訪問着『早春』(東京国立近代美術館蔵)、翌年の第3回展で文化財保護委員会委員長賞を受けた友禅訪問着『薫』(同)により作家としての地位を不動にした。蒔糊技法だけの作家ではなく、糊糸目(のりいとめ)や堰出(せきだし)など友禅染めのさまざまな技法にも精通し、大らかな文様構成や華やかな色彩感覚に加え、つねに技法に対して新しい可能性を開発しようとする態度に、作家としての大きな特色がある。また社団法人日本工芸会の運営にも情熱を傾け、副理事長を長期にわたって務め、次に続く世代の育成に尽力した。1987年(昭和62)脳梗塞(のうこうそく)のため一時制作ができなかったが、強い意志によるリハビリのおかげで立ち直り、89年(平成1)には文化庁監修による記録映画『友禅・森口華弘のわざ』(桜映画社)を完成させた。日本伝統工芸展にも出品し続け、後進に対する指針というべき役割を果たしていた。1967年(昭和42)重要無形文化財保持者に認定された。

[今永清士・森口邦彦

『守田公夫監修『友禅 森口華弘撰集』(1976・求龍堂)』『西山松之助・内山武夫著『人間国宝シリーズ10 森口華弘』(1977・講談社)』『日本経済新聞社編・刊『私の履歴書 文化人8』森口華弘など7人(1984)』『滋賀県立近代美術館、朝日新聞社編『「特別展 人間国宝・友禅の技 森口華弘」展図録』(1986・滋賀県立近代美術館)』『『「伝統と創生 友禅の美 森口華弘・邦彦展」図録』(1994・読売新聞大阪本社)』

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「森口華弘」の解説

森口華弘 もりぐち-かこう

1909-2008 昭和-平成時代の染色家。
明治42年12月10日生まれ。友禅作家森口邦彦の父。京友禅師3代中川華邨(かそん),日本画家疋田芳沼(ひきた-ほうしょう)にまなぶ。蒔絵(まきえ)にヒントをえた蒔糊(まきのり)技法による友禅で注目され,昭和30年訪問着「早春」で日本伝統工芸展朝日新聞社賞を受賞。42年人間国宝。平成20年2月20日死去。98歳。滋賀県出身。本名は平七郎。

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