森将軍塚古墳(読み)もりしようぐんづかこふん

日本歴史地名大系 「森将軍塚古墳」の解説

森将軍塚古墳
もりしようぐんづかこふん

[現在地名]更埴市森 大穴山

有明ありあけ(六五一・八メートル)から北東方に延びた支脈が千曲川の右岸に突出している尾根上に立地している古墳前期の前方後円墳眼下には屋代やしろの条里的水田と、弥生時代から平安時代に続く集落が営まれた雨の宮あめのみやから屋代へかけての千曲川の自然堤防が望まれる。この古墳は丘尾切断になるもので全長九八メートル、前方部幅三〇メートル、同高さ五メートル、後円部径四五メートル、同高さ八メートル。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「森将軍塚古墳」の意味・わかりやすい解説

森将軍塚古墳
もりしょうぐんづかこふん

長野県千曲市更埴森の大穴山頂にある,全長 100mの前方後円墳墳丘には古式円筒埴輪列をめぐらし,後円部頂の石積みの二段墓壙中央には,長さ 7.65m,幅 2m,高さ 2mほどの巨大な竪穴式石室があった。すでに盗掘を受けてはいたが,礫床から舶載三角縁神獣鏡片,硬玉製勾玉,碧玉製管玉,鉄製の刀,剣,鎌,鏃などが発見された。長野県下最大規模の古墳で,4世紀代の築造と考えられている。

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事典・日本の観光資源 「森将軍塚古墳」の解説

森将軍塚古墳

(長野県千曲市)
信州の史跡百選指定の観光名所。

出典 日外アソシエーツ「事典・日本の観光資源」事典・日本の観光資源について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「森将軍塚古墳」の意味・わかりやすい解説

森将軍塚古墳
もりしょうぐんづかこふん

将軍塚古墳

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

国指定史跡ガイド 「森将軍塚古墳」の解説

もりしょうぐんづかこふん【森将軍塚古墳】


埴科古墳群(はにしなこふんぐん)

出典 講談社国指定史跡ガイドについて 情報

世界大百科事典(旧版)内の森将軍塚古墳の言及

【将軍塚古墳】より

…1972,73年度の九州縦貫自動車道建設に伴う発掘調査の際に,径約26mある墳丘の跡を再確認している。
[森将軍塚古墳]
 長野県更埴市森大穴山にある4世紀後半の前方後円墳。千曲川の右岸に連なる有明山の北端にのびた尾根の上部に位置し,南西面する墳丘の全長98m,後円部径45m,前方部幅30m,顕著な葺石および円筒埴輪を残す。…

※「森将軍塚古墳」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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