森尻村(読み)もりじりむら

日本歴史地名大系 「森尻村」の解説

森尻村
もりじりむら

[現在地名]上市町森尻

東江上ひがしえがみ村の西、上市川扇状地の中央に位置し、上市川が東を流れる。南は三日市みつかいち村、北は大永田おながた村。滑川なめりかわ町から上市村に至る滑川往来道にある。モロジリともいう。当地は中世の森尻庄にあたり、立山社があり森尻寺とよばれていた(越中志徴)。「妻鏡」によれば、森尻寺の僧智妙房は信者の施しを貪って渡世を図っていたが、多くの且那衆を率いて立山に参詣したとき途中の鎖場で先導していた智妙房が牛になって谷に迷い込んでしまった。皆は声々に僧の名を呼んだが、牛のほえる声だけで姿はかき消すように失せたという。「政所賦銘引付」文明一二年(一四八〇)六月七日条に、室町幕府料所「森尻庄内荒屋村」とみえ、越中国清泰寺雑掌が「荒屋村」は記吾清秀の売寄進を受けて知行してきたが、壱岐方が相続地だとして押領したと訴えている。


森尻村
もりしりむら

[現在地名]甲南町森尻

深川ふかわ村の北、そま川右岸の平坦地に位置。集落は杣川沿いに延び、杣街道が通る。村名は矢川やがわ神社の森の尻に位置することによるという。もと深川村一村であったという。中世は森尻庄の内。寛永石高帳では高六一八石余で、幕府領一四〇石余、旗本堀田領二九八石余・同山岡領一二八石余・同美濃部領五一石余の四給。天和二年(一六八二)幕府領と山岡領分が水口藩領となる。


森尻村
もりしりむら

[現在地名]近江八幡市森尻町

中小森なかこもり村の西にある。元和六年(一六二〇)仁正寺(西大路)藩領となり、同藩領で幕末に至る。寛永石高帳では高三二二石余、慶安二年書上によると田三〇五石余・畑屋敷一七石余。西方を流れる日野川氾濫により度々洪水の被害にあっており、明暦三年(一六五七)に仁正寺藩主市橋政信が同川に井上いのうえ堤を築いたときには人夫二〇人を負担しているが(西田文書)以後も被害は続いた(→安養寺村

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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