上市村(読み)かみいちむら

日本歴史地名大系 「上市村」の解説

上市村
かみいちむら

[現在地名]上市町東町ひがしまち神明町しんめいまち錦町にしきちよう森元町もりもとちよう南町みなみちよう上中町かみなかまち石浦町いしうらちよう旭町あさひまち西中町にしなかまち新町しんまち熊野町くまのまち鍵町かぎちよう松和町まつわちよう幸町さいわいちよう栄町さかえちよう西町にしちよう天神町てんじんまち柳町やなぎまち

上市川扇状地の中央に位置し、北を上市川が流れる。東は北島きたじま村、西は三日市みつかいち村、南は法音寺ほうおんじ村。かつて若杉わかすぎ五社明神の門前市として三日市が栄えていたが、その後当地にも市が立ち、三日市を凌駕するようになり上市と名付けられたといい、草分は彦次郎・五右衛門・五郎左衛門・太郎右衛門・中屋・道三屋・咲屋の七軒であったという(上市町誌)正保郷帳では高六三六石余、田方三八町余・畑方四町三反余、新田高七二石余。寛文一〇年(一六七〇)の村御印によれば草高五五二石、免五ツ六歩、小物成は山役三〇一匁・四十物役一五〇匁、鮭役二二匁(退転)・鮎川役四匁・鱒役一匁(三箇国高物成帳)


上市村
かみいちむら

[現在地名]吉野町大字上市

吉野川北岸の村。さくらの渡で南岸の飯貝いいがい村と結ばれ、川と背後の段丘との間に挟まれた街道集落で町屋を形成する。「和州巡覧記」に、「上市 吉野河の北岸に在町也。飯貝のむかひにあり、船にて渡る。上市よりも大和の国なかにこゆる道ありて、山の谷へ入、是は芋が嶺に行道也。右に行ば、竜門の谷の内に入、此地の河辺の両旁に河を隔て妹背山とて両山有」と記される。

中世、千股ちまた里のうち。文明―明応年間(一四六九―一五〇一)対岸飯貝本善ほんぜん寺の門前にあたる吉野川の中州に寺内町化した市場が発生し、吉野地方の重要交易地となった。「石山本願寺日記」(証如上人日記)の天文五年(一五三六)一月の条に「大和吉野上市・下市還住之儀」とあるのが文献上の初見。


上市村
うわいちむら

[現在地名]中山町上市

上田うえだ村の西、下市しもいち川下流右岸に位置する。村名は東西に走る伯耆街道に沿うため市が立ち、その上の集落であることに由来するという。古くは下市村とともに逢坂おうさか宿と称された(元禄郷帳など)汗入あせり郡に属し、拝領高一九二石余。延享三年(一七四六)の古地高二一〇石余、新開高四石余、土免五ツ八歩、請免五ツ七歩八厘。藪役銀一匁六分が課されていた。家数一五、男四五・女四〇、牛九(「汗入郡御通筋村々厘付帳」門脇家文書)


上市村
かみいちむら

[現在地名]挟間町挟間 上市

大分川左岸の向原むかいのはる村の東にある。天正七年(一五七九)八月吉日の阿南庄狭間南方四百貫分覚(甲斐守文書)に「上市村」とみえる。江戸時代を通じて府内藩領で、中郷下市組に属した(府内藩記録)。正保郷帳に村名がみえ田高一〇八石余・畑高一九二石余、挟間庄に所属。元禄一〇年(一六九七)府内領郷帳(府内藩記録)によれば高三三二石余。旧高旧領取調帳では高三三七石余。享和二年(一八〇二)検地帳(小野家文書)によると、名請人八二人のうち二〇石以上一、一〇―二〇石八、七―一〇石六、五―七石八、三―五石一二、一―三石一九、一斗―一石二五、一斗以下三の構成であった。明治八年(一八七五)鶴田つるだ村と合併して挟間村となる。


上市村
かみいちむら

[現在地名]山陽町上市

すな川左岸の平地部に位置し、北は正崎しようざき村。慶長一〇年(一六〇五)備前国高物成帳(備陽記)鳥取ととり庄に上市村とある。寛永備前国絵図では高四一八石余。貞享元年(一六八四)の赤坂郡高目録(池田家文庫)によると慶長九年検地があり、高四七二石余。貞享元年には荒などを引いた残高四三五石余。享保六年(一七二一)には田畠二四町二反余、家数三六・人数一八三(備陽記)。文化年間の「岡山藩領手鑑」によると直高六七〇石余はすべて蔵入地。残高四一二石余、田高三六三石余・二〇町四反余、畑高四八石余・三町四反余、家数三三・人数一四一、牛一九。


上市村
かみいちむら

[現在地名]安心院町上市

古市ふるいち村の北にあり、村の西端を深見ふかみ川が北流する。地名は当地に市が立てられたことによる。中世には新開しんがい庄、のち安心院庄のうちであったと思われ、地内の字御屋敷おやしきは宇佐氏一族で宇佐大宮司・宇佐郡司・新開庄弁官などを勤めた安心院氏の居館であったという。近世の領主の変遷は古市村に同じ。小倉藩元和人畜改帳に村名がみえ、高四一五石余、人数一一一、百姓一七(うち庄屋一)・名子三・鍛冶二、牛一四・馬八。元和二年(一六一六)の山上惣兵衛口上(山上家文書)などでは当村の市は古市に市立てが行われたのちに安心院氏の目代山上・高木両氏によって立てられたという。近世初めには同様の市立てが行われた北方下市村との間で市相論が生じている。


上市村
かみいちむら

[現在地名]東予市上市

周桑しゆうそう平野北部を流れる大明神だいみようじん川の中流右岸、扇状地の扇頂に位置する。ぞうもり(一七二・三メートル)の山麓にあり、東はくわ村・国安くにやす村に接する。

慶安元年伊予国知行高郷村数帳(一六四八)桑村郡の項に「上市村 日損所、芝山有、林少有」とみえ、村高は九四三石五斗五升五合、うち田方六三八石六合、畠方三〇五石五斗四升九合とある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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