森田 茂
モリタ シゲル
明治〜昭和期の政治家,弁護士 衆院議長;京都市長。
- 生年
- 明治5年8月17日(1872年)
- 没年
- 昭和7(1932)年11月30日
- 出生地
- 高知県香美郡佐岡村
- 学歴〔年〕
- 明治法律学校〔明治23年〕卒
- 主な受賞名〔年〕
- 従四位勲二等
- 経歴
- 明治25年弁護士試験合格。32年高知県議、34年検事任官、京都地方裁判所検事補となるが、35年辞任し、弁護士開業。のち44年京都府議となり、同副議長、また、京都市議、同議長を歴任。関税調査会、行政裁判法及訴願法改正委員会各委員も務める。大正4年以来衆院議員当選6回、立憲民政党に属し、昭和2年衆院議長。列国議会同盟会議に出席して欧米漫遊。6年京都市長となり、京都市電気事業統一問題に尽力した。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報
森田 茂
モリタ シゲル
- 肩書
- 衆院議長,京都市長
- 生年月日
- 明治5年8月17日
- 出生地
- 高知県香美郡佐岡村
- 学歴
- 明治法律学校〔明治23年〕卒
- 経歴
- 明治25年弁護士試験合格。32年高知県議、34年検事任官、京都地方裁判所検事補となるが、35年辞任し、弁護士開業。のち44年京都府議となり、同副議長、また、京都市議、同議長を歴任。関税調査会、行政裁判法及訴願法改正委員会各委員も務める。大正4年以来衆院議員当選6回、立憲民政党に属し、昭和2年衆院議長。列国議会同盟会議に出席して欧米漫遊。6年京都市長となり、京都市電気事業統一問題に尽力した。
- 受賞
- 従四位勲二等
- 没年月日
- 昭和7年11月30日
出典 日外アソシエーツ「新訂 政治家人名事典 明治~昭和」(2003年刊)新訂 政治家人名事典 明治~昭和について 情報
森田茂
もりたしげる
[生]1907.3.30. 茨城,下館
[没]2009.3.2. 東京,中央
洋画家。1925年茨城県師範学校を卒業。尋常高等小学校の教員を経て,1931年上京し熊岡洋画研究所に入所。1934年『神楽獅子の親子』が帝国美術院展に初入選,1938年『金蔵獅子』が新文展特選を受けた。第2次世界大戦後,1956年日展審査員,1958年同会員。1962年ヨーロッパ遊学。1966年『黒川能』で日展文部大臣賞。ほかに『人形部屋』(1947),『獅子舞の人々』(1958)などがあり,庶民の風土感覚をにじませた日本的な絵画を確立した。1970年日本芸術院賞を受賞,1976年日本芸術院会員となる。1977年日展常務理事,1980年東光会初代理事長,2004年同会会長。1989年文化功労者に選ばれ,1993年文化勲章を受章した。
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
森田茂(2) もりた-しげる
1907-2009 昭和-平成時代の洋画家。
明治40年3月30日生まれ。熊岡美彦に師事。昭和9年帝展に初入選。13年新文展で「金蔵獅子」が特選。東光会会員となる。41年「黒川能」で日展文部大臣賞。45年芸術院賞。51年芸術院会員。平成5年文化勲章。強靱な絵肌による黒川能の連作で知られる。平成21年3月2日死去。101歳。茨城県出身。茨城師範卒。
森田茂(1) もりた-しげる
1872-1932 明治-昭和時代前期の政治家。
明治5年8月17日生まれ。高知県会議員,京都地方裁判所検事をへて京都市会議員,同議長。大正4年衆議院議員(当選6回,民政党),昭和2年衆議院議長。6年京都市長となり,7年11月30日在任中に死去。61歳。高知県出身。明治法律学校(現明大)卒。
出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例
森田 茂 (もりた しげる)
生年月日:1872年8月17日
明治時代-昭和時代の政治家;弁護士。衆議院議員;同議長
1932年没
出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報