黒川能(読み)クロカワノウ

デジタル大辞泉 「黒川能」の意味・読み・例文・類語

くろかわ‐のう〔くろかは‐〕【黒川能】

山形県鶴岡市黒川に伝わる能。現在の五流の能にはない伝承を残し、2月1、2日の同所春日神社王祇祭おうぎさいなどに演じる。 冬》「雪が雨に雨が霰に―/節子」

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精選版 日本国語大辞典 「黒川能」の意味・読み・例文・類語

くろかわ‐のうくろかは‥【黒川能】

  1. 〘 名詞 〙 山形県東田川郡引町黒川の鎮守、春日神社の社家(しゃけ)氏子(うじこ)によって伝承された能。現在の能楽五流以外の流れに立ち、古格を保って村人の間に伝承されている。伝説では、後小松天皇第三の皇子小川宮が戦乱を避けてこの地に立ち寄り、これから村人に伝わったという。毎年二月一、二日の春日神社、四所明神の神事に奉納される。舞台は社殿左右の廊下を両橋掛りとして、上座(かみざ)は左の橋掛り、下座(しもざ)は右の橋掛りを使う。能は三百余番、狂言は二百余番の曲目を有するという。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「黒川能」の意味・わかりやすい解説

黒川能
くろかわのう

山形県鶴岡(つるおか)市黒川(旧櫛引(くしびき)町黒川)の春日神社(かすがじんじゃ)に奉仕する神事能。その伝承と規模の大きさ、組織の強固さは、他の民俗芸能に類をみない。2月1、2日の王祇祭(おうぎさい)が最大の祭りであるが、3月23日、5月3日、11月23日の各例祭のほか、7月15日には羽黒山で、8月15日には山形県鶴岡市の荘内(しょうない)神社でも演能がある。また、イベントとして、2月最終土曜日に春日神社において蝋燭(ろうそく)能、7月最終土曜日に櫛引地区の野外ステージで水焔の能が行われる。

 氏子であり農民でもある能役者はほぼ世襲で、およそ160名。伝承の経路、時期は明らかではないが、ある規模で意識的に能が村に導入されたと思われる。1689年(元禄2)には衰退したとしながらほぼ現在程度の規模であったという記録があることから、室町末期には定着していたと推測される。上座と下座に分かれ、それぞれの座長が統率する。この二つの座が競い合う形態が、継承のための大きな力となった。中央の五流の能とは別の演技様式を伝えている部分が多く、扮装(ふんそう)なども相当に異なる。囃子(はやし)方、狂言方はそれぞれの専門職であるが、ワキの役はシテ方から出る。地謡(じうたい)は長老の名誉職とされる。黒川独自の『所仏則(ところぶっそく)の翁(おきな)』、少年の勤める『大地踏(だいちふみ)』のほか、五流現行曲の2倍にもあたる540番と称する曲目は両座に二分されているが、常用は100番ほどである。『河水(かすい)』『鐘巻(かねまき)』など、五流に絶えた曲の上演も多い。狂言は一時伝承が絶えていた時期があり、40番余の曲目は両座共用とする。

 黒川の1年の生活は、王祇祭を軸として動いていく。2月1日、神体を迎えた両座の当屋(長寿の年齢順に選ばれる)で、室内に蝋燭を立て回しての徹夜の演能があり、翌朝からは左右に橋掛(はしがかり)をもつ春日神社拝殿の舞台で両座が能と祭事を競い合う。外来者の参加は黒川能保存会が窓口となって抽選による。1976年、重要無形民俗文化財に指定され、アメリカ公演も行われた。

[増田正造]

『真壁仁著『黒川能』(1953・黒川能研究会)』『横道萬里雄編『黒川能』(1967・平凡社)』『真壁仁著『黒川能――農民の生活と芸術』(1971・日本放送出版協会)』『薗部澄・増田正造編『黒川能面図譜』(1979・東北出版企画)』


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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「黒川能」の意味・わかりやすい解説

黒川能
くろかわのう

山形県鶴岡市黒川の春日神社で毎年 2月1,2日に行なわれる王祇祭(おうぎさい)に奉納される。王祇祭は,もとは旧正月に行なわれた祭りで,神社を中心に南側の集落からなる上座,北側の集落からなる下座の二つの宮座が競い合うかたちで,それぞれの頭屋と神社とを舞台に行なわれる。2月1日未明,先端に紙垂を飾り付けた 3本の白木を開くと扇形になるように白布で束ねた王祇様が,神社からそれぞれの頭屋に移され,宮座の座衆全員の点呼(座狩)などが行なわれたあと,夕刻,幼児が務める「大地踏」を皮切りに能が始まり,式三番(→),能 5番(→五番立),狂言 4番が夜通し演じられる。2日には,各頭屋から王祇様が神社に入れられ,両座が神前で脇能 1番を舞ったあと,「大地踏」と式三番を演じる。式三番で演じられる翁舞のうち,上座の翁舞は,翁太夫家に一子相伝で伝えられている「所仏則(ところぶっそく)の翁」と呼ばれる当地独特の翁舞として知られる。能の奉納が終わると,両座の若者を中心に王祇様を持って神社の階段を競走して駆け上がる「尋常」の行事などがある。夕刻に祭りが終わると,王祇様の布は翌年の頭屋に授けられる。両座合わせて 能 540番,狂言 50番の演目を伝えており,1976年に国の重要無形民俗文化財に指定された。

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改訂新版 世界大百科事典 「黒川能」の意味・わかりやすい解説

黒川能 (くろかわのう)

山形県鶴岡市の旧櫛引町黒川の農民によって継承され,春日神社に奉仕する神事能。その伝承の規模の大きさ,組織の強固さは,他の民俗芸能に類を見ない。2月1,2日の王祇祭(おうぎさい)が最大の祭で,黒川の一年の生活は王祇祭を軸に動いていく。神を迎えた両座の当屋で徹夜の演能があり,翌朝からは神社拝殿の舞台で能と祭事を競い合う。3月,5月,11月の例祭のほか,7月の羽黒山,8月の庄内神社でも定期演能がある。黒川への能の定着は,室町末期ごろと推定される。上座・下座にわかれ,それぞれの座長が統率する。役者はほぼ世襲。五流の能(観世,金春,宝生,金剛,喜多流)とは別の演技様式を伝える部分も多く注目される。囃子方・狂言方はそれぞれの専門職だが,ワキ方は独立しておらず,シテ方から出る。黒川独自の《所仏則(ところぶつそく)の翁》,少年の芸能《大地踏(だいちふみ)》もあり,540番の曲目は両座に二分されている。五流の能には絶えた《河水(かすい)》《鐘巻(かねまき)》などもよく上演される。狂言の曲目は両座の共有。国指定重要無形民俗文化財。
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百科事典マイペディア 「黒川能」の意味・わかりやすい解説

黒川能【くろかわのう】

山形県鶴岡市黒川地区に室町末ごろから伝えられている能楽。五流とは別の様式をもつ。春日神社に奉仕する神事能。能役者は農民で,ほぼ世襲。上座(かみざ)と下座に分かれ,540番と称する曲目(常用80〜100番)も二分されている。2月1日の王祇祭(おうぎさい)には民家(頭屋)で徹夜の演能を行う。
→関連項目櫛引[町]

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デジタル大辞泉プラス 「黒川能」の解説

黒川能

山形県鶴岡市黒川地区に伝わる民俗芸能。春日神社で2月に行われる「王祇祭」で演じられる神事能。1976年、国の重要無形民俗文化財に指定。

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世界大百科事典(旧版)内の黒川能の言及

【稚児舞】より

…延年では若音(わかね)(稚児声)や姿の美しさが喜ばれ,《白拍子(しらびようし)》《乱拍子》《稚児催(ちごもよおし)》《糸綸(いとより)》などの曲や,風流(ふりゆう)の走物(はしりもの)などを演じた。現在も岩手県平泉町毛越寺延年や,山形県櫛引町の黒川能に《大地踏》の稚児舞が残る。神事に参加する稚児は多く,京都祇園祭の長刀鉾に乗る稚児が腹に羯鼓(かつこ)をつけるのは,中世に流行した羯鼓を打って舞う稚児芸能のなごりである。…

【民俗芸能】より

…(4)郷土舞台芸 能,狂言,歌舞伎などは,発生的には村落の民俗芸能に根ざしたものであるが,やがて舞台芸術として完成してのち,ふたたび地方村落に迎えられて,その土地なりの芸能になることもあった。山形県の黒川能,岐阜県本巣郡根尾村能郷に伝承される能郷能,三重県伊勢市の馬瀬(まぜ)狂言,長野県下伊那郡の大鹿(おおしか)歌舞伎など各地に点在する。また大陸伝来の舞楽は宮廷や奈良,大坂四天王寺などで完成をみる一方,地方の寺社へ伝播(でんぱ)して法会,祭礼に演じられるようになった。…

※「黒川能」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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