とあり、社伝によれば、そのためにこの地を楯脱と称し、のち楯縫に改められたという。推古天皇一六年と大同二年(八〇七)に社殿を再建と伝え、「延喜式」神名帳に「信太郡二座
永和元年(一三七五)一一月日の信太荘上下条寺社供僧等申状案(円密院文書)に「右寺社者、往古之仏閣、数代之社等也、就中木原・竹来両社者、庄内第一之惣廟也」と記され、文明八年(一四七六)七月二八日の木原村楯縫神社棟札(続常陸遺文)には「加藤式部丞藤原仲季判 土岐原修理亮 執行事 一宮明神之神主社人禰宜 源氏景成」とあり、中世には信太郡一宮と称され、崇敬された。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
貨幣 (名目) 賃金額を消費者物価指数でデフレートしたもので,基準時に比較した賃金の購買力を計測するために用いられる。こうしたとらえ方は,名目賃金の上昇が物価の上昇によって実質的には減価させられている...