榊原仟(読み)サカキバラシゲル

デジタル大辞泉 「榊原仟」の意味・読み・例文・類語

さかきばら‐しげる【榊原仟】

[1910~1979外科医福井の生まれ。東京女子医大教授筑波大学副学長、榊原記念病院院長日本心臓外科手術の開拓者一人著作に「医の心」など。

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20世紀日本人名事典 「榊原仟」の解説

榊原 仟
サカキバラ シゲル

昭和期の心臓外科医 東京女子医科大学名誉教授;筑波大学名誉学長。



生年
明治43(1910)年10月13日

没年
昭和54(1979)年9月28日

出生地
福井県福井市

学歴〔年〕
東京帝大医学部〔昭和11年〕卒

主な受賞名〔年〕
毎日学術奨励文化賞,朝日賞(昭38年度)〔昭和39年〕,紫綬褒章〔昭和46年〕,勲一等瑞宝章

経歴
昭和11年東大第2外科に入り、都築正男教授の下で結核外科を研修。軍医として中国へ渡り、上海同仁大学の発足で18年教授。帰国後、24年に東京女子医専(後の東京女子医大)教授。岡山で開業していた長兄亨の影響もあり、26年日本初のボタロー管開存症の手術、翌年僧帽弁狭窄症の手術に成功、日本の心臓外科飛躍に大きく貢献した。30年東京女子医大に日本心臓血圧研究所を設置、所長兼務。女子医大附属病院長を経て、48年東京教育大学(現・筑波大学)副学長。52年日本心臓血圧研究振興会榊原記念病院を設立、院長を務める。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「榊原仟」の意味・わかりやすい解説

榊原仟
さかきばらしげる
(1910―1979)

日本における心臓外科の開拓者の一人。明治43年10月13日福井市に生まれる。1936年(昭和11)東京帝国大学医学部卒業後、外科学教室に入り、とくに骨関節結核の研究を行い、学位もこの研究で得た。1942年中国につくられた上海(シャンハイ)同仁大学の開設とともに教授として赴任敗戦で帰国。1949年(昭和24)から東京女子医学専門学校(現、東京女子医科大学)教授となる。東京大学教授の塩田正男からアメリカで心臓手術の開発が始まっていることを聞かされ、研究に着手、1951年ボタロー管開存症、1952年僧帽弁口狭窄(きょうさく)症の手術を、いずれも日本で初めて成功させた。1955年東京女子医大に日本心臓血圧研究所を設立し、所長に就任、1961年には同大学附属病院長、1973~1976年には新設の筑波(つくば)大学の副学長を務めた。1963年朝日賞、1971年には紫綬褒章(しじゅほうしょう)を受けている。昭和54年9月28日死去。

中川米造

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「榊原仟」の解説

榊原仟 さかきばら-しげる

1910-1979 昭和時代の外科学者。
明治43年10月13日生まれ。昭和24年東京女子医専(現東京女子医大)教授となり,同大日本心臓血圧研究所所長,同大付属病院院長。48年筑波大副学長。のち榊原記念病院院長をつとめた。日本の心臓外科の開拓者のひとり。昭和54年9月28日死去。68歳。福井県出身。東京帝大卒。著作に「医の心」など。

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367日誕生日大事典 「榊原仟」の解説

榊原 仟 (さかきばら しげる)

生年月日:1910年10月13日
昭和時代の医師。心臓外科;東京女子医科大学教授
1979年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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