昭和期の心臓外科医 東京女子医科大学名誉教授;筑波大学名誉学長。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報
日本における心臓外科の開拓者の一人。明治43年10月13日福井市に生まれる。1936年(昭和11)東京帝国大学医学部卒業後、外科学教室に入り、とくに骨関節結核の研究を行い、学位もこの研究で得た。1942年中国につくられた上海(シャンハイ)同仁大学の開設とともに教授として赴任、敗戦で帰国。1949年(昭和24)から東京女子医学専門学校(現、東京女子医科大学)教授となる。東京大学教授の塩田正男からアメリカで心臓手術の開発が始まっていることを聞かされ、研究に着手、1951年ボタロー管開存症、1952年僧帽弁口狭窄(きょうさく)症の手術を、いずれも日本で初めて成功させた。1955年東京女子医大に日本心臓血圧研究所を設立し、所長に就任、1961年には同大学附属病院長、1973~1976年には新設の筑波(つくば)大学の副学長を務めた。1963年朝日賞、1971年には紫綬褒章(しじゅほうしょう)を受けている。昭和54年9月28日死去。
[中川米造]
出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報
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