心臓外科(読み)しんぞうげか

日本大百科全書(ニッポニカ) 「心臓外科」の意味・わかりやすい解説

心臓外科
しんぞうげか

先天性および後天性の心臓病と、心臓周辺の大血管の異常を外科的手術によって治療する外科の一分野をいう。昔から心臓にメスを加えることは死につながると考えられて、外科医の手も心臓には及ばなかったが、19世紀から20世紀にかけてヨーロッパでは散発的ではあったが心臓外傷の治療が試みられるようになり、1896年ドイツのレーンLudwig Mettler Rehn(1849―1930)が右心室切創の縫合に成功するなど、偶発的ともいえる成功例がいくつかあった。その後に気管内麻酔輸血および抗生物質の進歩があり、フランスの外科医カレルが血管縫合法を考案(1902)してから血管外科が盛んに行われ、これらを背景として現代の心臓外科がおもにアメリカで発展してきた。すなわち、近代的治療法としての心臓外科は、1938年アメリカのグロスRobert Edward Gross(1905―88)が動脈管ボタロー管)開存の結紮(けっさつ)手術に成功したことから始まったといわれ、その後多くの心臓外科手術が欧米で試みられたが、1945年前後からようやく臨床実施の段階に入った。しかし心臓を開いて直接病変を見て治す開心術は、1953年に人工心肺装置を用いた心房中隔欠損症の閉鎖術が最初であり、より複雑な心臓病の治療が可能になった。同時に血管外科でも、血管切除後に血流を修復する血管置換手術が成功して、大動脈の切除手術が可能となってきた。こうした発展の歴史的関係もあって、心臓外科と血管外科は総括して心臓血管外科ともよばれる。以後、目覚ましい発展を遂げた心臓外科は臨床的に心臓移植を行う段階に至った。

 日本では、第二次世界大戦で研究が中断されていたが、1951年(昭和26)5月に榊原仟(さかきばらしげる)が動脈管開存の結紮手術に成功、同年11月には木本誠二(1907―95)もファロー四徴症(心室中隔欠損、肺動脈狭窄(きょうさく)、大動脈右方転位、右心室肥大の4病変を伴った心臓奇形)の姑息(こそく)手術に成功した。開心術は1955年に東京女子医大と大阪大学が同時に成功して本格的な心臓外科のスタートをきった。その後は数多くの外科医の努力で心臓血管外科が発展した。心臓移植の手術については脳死問題などで実施が困難であったが、1997年(平成9)に脳死者からの臓器移植を可能とする「臓器移植法」が制定されたことにより、日本でも心臓移植が再開され、2009年3月末までに65例の心臓移植が施行された。

 心臓外科発展の要因としては、超音波検査法やCT検査心臓カテーテル法や心血管造影法などの診断技術の進歩により病変を細部にわたって的確に把握できるようになったこと、人工心肺、体外循環、低体温法、心筋保護法など開心術の手段が向上してきたこと、術中の循環動態のモニター機器をはじめ、集中治療室など術前術後の管理が進歩したこと、人工血管人工弁などに使われるプラスチックなど材料の開発が進んだことなどがあげられ、その適応も著しく拡大されてきた。とくに新生児や幼児を対象とする大血管転移症や三尖弁(さんせんべん)閉鎖症など複雑な先天性心臓病の根治手術も可能となり、手術の安全性がより向上してきた。

[今井康晴]

『龍野勝彦著『心臓外科エキスパートナーシング』改訂第2版(1996・南江堂)』『城谷均編『心臓――外科・内科』(1998・メディカ出版)』『小柳仁著『心臓の手術がよくわかる本』(2000・小学館)』『新井達太編『心臓外科』(2005・医学書院)』『坂東興著『心臓外科医』(岩波新書)』

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

改訂新版 世界大百科事典 「心臓外科」の意味・わかりやすい解説

心臓外科 (しんぞうげか)
cardiac surgery

心臓ならびにその周辺の大血管の病変に対する手術治療をいう。心臓に外科的処置を加えることは,19世紀末の1896年にドイツのレーンLudwig Mettler Rehn(1849-1930)が心臓外傷の手術に成功しているが,本格的に心臓疾患を診断し手術しようとする試みは,1939年にアメリカのグロスRobert Gross(1905- )が動脈管開存症の手術に成功して以来といえる。45年には大動脈縮窄症の手術にグロス,スウェーデンのクラフォードClarence Crafoord(1899-1983)が成功し,ファロー四徴症の治療として,アメリカのブラロックAlfred Blalock(1899-1964)が血管吻合(ふんごう)手術を行い好成績をあげるに及んで,心臓外科に対する関心がにわかに高まってきた。以後,今日までの50年間の心臓外科の進歩はめざましいものがあり,諸外国では心臓移植が標準的治療として受け入れられるまでに至った。日本でも97年から臓器移植法が施行されたため,ようやく心臓移植への道が開かれた。

 その発展の要因として,診断技術,麻酔,人工心肺をはじめとする人工臓器,心筋保護,手術手技の発達,術後管理の充実,があげられる。

 心臓の手術で最もたいせつなことは正確な診断であって,今日では超音波検査,CT検査,MRCT検査,心臓カテーテル法心血管造影法,選択的冠動脈造影法等,主として画像診断が手軽に行うことができ,細部にわたる病変が的確に発見できるようになった。麻酔領域では,心臓の働きをあまり抑制しない薬剤を症例に応じて使い分け,体温の冷却,加温も安全に行うことができるようになり,術中の循環動態のモニター機器も整備され,術後は集中治療室での患者管理が容易になった。術後早期の心機能不全には補助循環もしばしば用いられ,大きな効果を挙げている。とくに新生児,乳児の麻酔,術中術後管理の進歩は著しく,重篤な先天性心疾患の治療への道が開かれた。心臓の手術では,大多数の例で人工心肺(心臓を切開しているときに全身の血液循環を保つ装置)が使われるが,人工肺(血液に酸素を与え二酸化炭素を除去するガス交換装置)にくふうが加えられ,とくにシリコーン膜を通してガス交換を行う膜型人工肺に改良が加えられてから,長時間の人工心肺使用が可能になった。

 また人工血管人工弁,補助循環装置,ペースメーカーなどの人工臓器も,1950年代の開発当初のものと比べてその進歩は著しく,きわめて安全で信頼できる状態になっている。一方,心臓が動いているままで手術を行うことにはさまざまの不都合があり,とくに細かい操作を正確に行うことは困難である。そのために薬物(主としてカリウム溶液)を冠状動脈に注入して心臓の動きを止め,手術操作をすることは心臓の手術を容易にするうえでたいへん重要である。この心停止法は55年にメルローズMelroseが試みて以来,一時は汎用されたが,心筋に大きな傷害を与えることが多いために間もなく顧みられなくなった。

 しかし70年代に入って薬物心停止法に改良が加えられ,今日では薬物で心臓の動きを止め,心臓の周囲に冷却した生理食塩水あるいは氷の細片を加えて心筋を冷やす心筋保護法等が広く用いられ,約3時間の心停止が安全に行えるようになった。このため複雑な手術操作を正確に行うことが可能になり,心臓の手術成績は飛躍的に向上した。手技の上では,内径1mmの細い動脈吻合が容易になるとともに,右心房から直接静脈血を肺動脈に流して右心室をバイパスする手技が,71年フランスのフォンタンFrancis Maurice Fontan(1929- )によって開発されて以来,同様な主旨の機能的根治手術が,従来手術が不可能とされていた多くの先天性心疾患にも行われるようになった。

 今日では大部分の心臓疾患になんらかの手術が可能になったといっても過言ではない。先天性心疾患では,心房中隔欠損症,心室中隔欠損症,ファロー四徴症等の手術はきわめて安全なものとなり,大血管転位症,総動脈幹症,単心室,三尖弁閉鎖症等にも優れた手術成績が得られている。後天性心疾患では,すべての弁膜症に形成手術あるいは人工弁置換術が,冠状動脈狭窄,心筋梗塞(こうそく)にも血行再建術が行われ,多くの人々が健康をとり戻している。そして,どうしても修復できない心臓疾患には,1967年南アフリカ共和国のバーナードC.Barnardによって同種心臓移植が試みられて以来,全世界で今日まで数万例の移植が行われ,その結果,新しい心臓で生活を楽しむことが可能となっている。
執筆者:

出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

百科事典マイペディア 「心臓外科」の意味・わかりやすい解説

心臓外科【しんぞうげか】

心臓およびこれに出入する血管の奇形・疾患を治療する外科の一分野。麻酔,輸血などの発達によって19世紀に入って心臓手術も可能になったが,特に1953年に低体温麻酔により,1954年に人工心肺により,それぞれ心房中隔欠損症の手術が心臓直視下で成功して,今日の心臓外科の隆盛の基礎が築かれた。現在では,特に人工心肺の進歩によってほとんどあらゆる心臓疾患の根治手術が可能となっており,心臓移植も試みられるに至っている。
→関連項目開心術バーナード

出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報

世界大百科事典(旧版)内の心臓外科の言及

【手術】より


[胸部外科の発達]
 第2次大戦前猛威をふるっていた肺結核に対して,栄養,大気,安静という消極的な治療法から人工気胸術,胸郭形成術がくふうされ,1934年にはドイツのE.F.ザウエルブルフが肺葉切除に成功し,今日の胸部外科の基礎が築かれた。
[心臓外科の誕生]
 心臓外科は,1896年W.レーンの損傷を受けた心臓壁の縫合の成功に端を発するが,1945‐46年ブラロックAlfred Blalock(1899‐1964)らによって進められたファロー四徴症に対する鎖骨下動脈,肺動脈間血管吻合(ふんごう)形成術などによって心臓外科は花開き,その後人工心肺装置の発展によって直視下開心術も可能になった。今日では弁置換手術や心筋障害に対するバイパス手術などが日常的な手術として行われるようになり,心臓も外科医を遠ざける領域でなくなった。…

※「心臓外科」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

今日のキーワード

カイロス

宇宙事業会社スペースワンが開発した小型ロケット。固体燃料の3段式で、宇宙航空研究開発機構(JAXA)が開発を進めるイプシロンSよりもさらに小さい。スペースワンは契約から打ち上げまでの期間で世界最短を...

カイロスの用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android