日本大百科全書(ニッポニカ) 「榎倉康二」の意味・わかりやすい解説
榎倉康二
えのくらこうじ
(1942―1995)
美術家。東京生まれ。1966年(昭和41)東京芸術大学美術学部絵画科油画専攻卒業、68年同大学院絵画専攻修了。学部時代は山口薫教室で学んだ。67年から作品の発表を開始し、初の個展は68年の「歩行儀式」(椿近代画廊、東京)。70年日本国際美術展「人間と物質」(東京都美術館)に参加し、藁半紙に油を浸透させ、それを床一面に敷きつめた作品『場』を制作した。翌71年パリ青年ビエンナーレでは、バンセンヌのフローラル公園にある2本の松のあいだにブロックを積み、モルタルで塗り込んで壁のように立てた作品『壁』を発表し、注目を浴び、留学賞を受賞。
大学在学中の60年代は、演劇や映画、写真や建築、そして音楽や舞踊などジャンルを越えたアンダーグラウンドの芸術運動が盛んだったが、榎倉もまたそういった空気を存分に吸った世代である。とりわけ舞踏家の土方巽(ひじかたたつみ)の舞台に魅了された。舞踏との関わりは、後に舞踏家の田中泯(みん)(1945― )とのコラボレーションにもつながっていった。また71年のパリ青年ビエンナーレには写真家の中平卓馬(なかひらたくま)と一緒に参加し、中平の作品のメディア性と方法論に影響を受け、写真による表現にも手を染めていく。70年代を通して、物質と身体とが感応し共振し合う関係を求め、土や水、油など非定形の素材を多用したインスタレーションの制作を行う。
一般に美術作品は、表現者自身の身体といったん切り離され、視覚機能と手作業により物質を媒介して表現されるが、榎倉の場合、その媒体たる物質そのものに身体を介入させていくような欲望を制作の動機とした。「不確定物質」「湿質」「染み」「干渉」「予兆」といったシリーズ作品名は、その物質と身体が感応し合う世界を暗示する。綿布にオイルを染み込ませるシリーズ、カンバス地や綿布にアクリル絵具を滲(にじ)ませたモノクロームの画面に、異種素材との合体を試みた「Figure」や「干渉」シリーズ、コンクリートを壁状に立ち上げてオイルステインなどを染み込ませた立体作品などが代表的な作品である。
榎倉は、自邸や野外でのインスタレーションや写真・版画作品など、きわめて多面的な活動を行っていた。また、物質の存在との対峙をテーマとし、人間の身体の皮膚の触覚的記憶を呼び起こすことを意図、そこで起きるイメージの同化と差異の体験を〈美的なるもの〉とした。同時に、榎倉の作品は見る者に身体的な行為の実践性を喚起し、独自の特異な表現に結実した。
78年と80年のべネチア・ビエンナーレ日本館に出品。80年「ROSC '80」展(アイルランド、ダブリン)、86年バングラデシュ・ビエンナーレ(ダッカ)、92年「70年代日本の前衛」展(イタリア、ボローニャ)などの国際美術展に参加し、晩年の個展には「近作展14」(1994、国立国際美術館)があった。75年より東京芸術大学で教鞭をとる。出品・参加していた「1970年 物質と知覚――もの派と根源を問う作家たち」展(1995、埼玉県立美術館)の会期中に急逝。
[高島直之]