構城跡(読み)かまえじようあと

日本歴史地名大系 「構城跡」の解説

構城跡
かまえじようあと

[現在地名]勝央町植月中

津山市境、大砂おおすな池の東にある中世の山城遺構の本格的調査は行われていないが、数基の五輪石が並ぶ。美作菅家一族の植月氏が南北朝期から戦国時代にかけて拠った城の一。「東作誌」によれば植月中うえつきなか村にはほかに同氏の城として小山こやま(宮山)鬼池おにいけヶ城があり、鬼池ヶ城は当城の南東にある。植月氏略系図(同書)によると、植月氏は有元・江見・広戸・小坂各氏らとともに満佐(三穂太郎)を祖とする。満佐から五代の直好は植月郷に住し、その二代後の良泰から当城に住した。良泰の孫重佐は元弘三年(一三三三)有元氏らとともに後醍醐天皇につき、京都猪熊合戦で討死。重佐の子重長は守護赤松氏麾下で神楽尾かぐらお(現津山市)に拠って因幡の山名氏に対するが、のち植月に帰る。


構城跡
かまえじようあと

[現在地名]津山市院庄

院庄いんのしよう中央部にある平城跡で、貞治年中(一三六二―六八)山名伊豆守の居城であり、天正(一五七三―九二)末期には毛利氏の将片山杢允・同左馬助が立籠り、その後廃城となった(作陽誌)森忠政は慶長八年(一六〇三)美作国に入封、当初院庄を本拠と定め構城の改築築城に着手した。「森家先代実録」によると、戦国期の城郭の規模は、本丸五〇間四方、周囲を幅八間ないし一三間の堀で囲み、堀の総延長一九八間といったものであった。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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