横井時雄(読み)よこいときお

日本大百科全書(ニッポニカ) 「横井時雄」の意味・わかりやすい解説

横井時雄
よこいときお
(1857―1927/1928)

明治・大正期のプロテスタントキリスト教指導者。幕末維新期の政治家横井小楠(しょうなん)の長男として熊本県に生まれる。熊本洋学校で徳富蘇峰(とくとみそほう)らとキリスト教に入信熊本バンドの一人となる。東京開成(かいせい)学校、同志社英学校に学び、伊予(いよ)・今治(いまばり)、東京・本郷(ほんごう)などでキリスト教伝道、牧会に従事する。のち同志社社長。辞職後、逓信(ていしん)省官房長、大阪新報主筆、外務省嘱託(しょくたく)、衆議院議員、東京日々新聞主幹などを歴任し、キリスト教的立場から正しいジャーナリズムおよび政治の確立に努力した。また、姉崎正治(あねさきまさはる)とともに総合誌『時代思潮』を発行し、世界的視野にたつ新たな国民精神の形成を目ざした。自由主義的な新神学の立場にたち、主著に『我邦(わがくに)の基督(キリスト)教問題』(1894)がある。

[金井新二 2018年3月19日]

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改訂新版 世界大百科事典 「横井時雄」の意味・わかりやすい解説

横井時雄 (よこいときお)
生没年:1857-1927(安政4-昭和2)

日本組合教会牧師。陽明学者横井小楠の長男。熊本洋学校でジェーンズの教えをうけ,熊本バンド一員としてキリスト教徒となり,同志社英学校で学んだ後,今治教会,本郷教会の牧師となる。1897年同志社の社長・校長となるが,新神学の影響を強くうけてしだいに正統的信仰から離れ,同志社辞任後はキリスト教界を去り,経済界さらに政界に転じた。著書には《日本将来の基督教》(1889),《我邦の基督教問題》(1894)など。
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朝日日本歴史人物事典 「横井時雄」の解説

横井時雄

没年:昭和2.9.13(1927)
生年:安政4.10.17(1857.12.3)
牧師,政治家。肥後(熊本県)生まれ。横井小楠 の長男。熊本洋学校在学中に花岡山の奉教結盟(熊本バンド)に加わる。東京開成学校を中退して同志社を卒業後,牧師となり,松山教会,本郷教会などで牧会,伝道に活躍。『六合雑誌』『基督教新聞』の編集に携わる。明治30(1897)年同志社社長(校長)となるが,翌年キリスト教主義をめぐる「綱領削除問題」で辞任。のち政界に転身,逓信省官房長,外務省嘱託。明治36(1903)年,岡山県から衆議院議員に当選。国士的な開明期プロテスタントのひとつの生き方であった。<参考文献>卜部幾太郎『横井時雄君追悼演説集』

(原誠)

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「横井時雄」の意味・わかりやすい解説

横井時雄
よこいときお

[生]安政4(1857).10.17. 熊本
[没]1927.9.13. 別府
キリスト教の牧師。教育者。横井小楠の長子。熊本洋学校に学び,花岡山の奉教に加わり,熊本バンドの一人となる。開成学校,同志社に学び,卒業後,四国今治,東京本郷で伝道。エール大学に留学し,哲学,史学を学び,1897年同志社社長となる。その後政界に転じ逓信省官房長,外務省嘱託,衆議院議員などをつとめ,一方,新聞記者として文筆にも従事した。新神学の影響を強く受けた。主著『我邦の基督教問題』 (1894) 。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「横井時雄」の解説

横井時雄 よこい-ときお

1857-1927 明治-大正時代の牧師,政治家。
安政4年10月17日生まれ。横井小楠(しょうなん)の長男。熊本洋学校在学中キリスト教に入信。同志社英学校卒業後,牧師となり,今治(いまばり)教会,本郷教会などで伝道にはげむ。明治30年同志社社長。37年衆議院議員(当選2回,政友会)。「東京日日新聞」主幹。昭和2年9月13日死去。71歳。肥後(熊本県)出身。一時伊勢又雄を名のった。

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