横山党(読み)よこやまとう

百科事典マイペディア 「横山党」の意味・わかりやすい解説

横山党【よこやまとう】

平安時代末期〜鎌倉時代初期の武士団武蔵国横山(現八王子市)を本拠地とする横山氏の一族で,武蔵七党一つ。横山氏は小野篁(たかむら)の子孫を称し,小野党ともいう。一族は多摩川流域に割拠し,相模国の相模川流域などにも進出前九年の役では源頼義に,保元・平治の乱では源義朝に従った。源頼朝の挙兵時には横山時広・横山時兼父子が活躍して御家人となる。しかし1213年の和田合戦和田義盛に与同して敗れ,以後衰退。
→関連項目船木田荘

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改訂新版 世界大百科事典 「横山党」の意味・わかりやすい解説

横山党 (よこやまとう)

平安末~鎌倉前期の武蔵国武士団。武蔵七党の一つ。小野党ともいう。小野篁(たかむら)7代の孫孝泰が武蔵守として下向し横山(現,東京都八王子付近)に土着したのに始まるという。孝泰の曾孫経兼・忠兼兄弟は源頼義に従って前九年の役(1051-62)に参戦した。一族は武蔵のみならず上野,相模にも進出し,七党中最大の武士団となった。その中には横山,小野,目黒海老名(えびな),別府,山口,愛甲,成田,中条,箱田,河上玉井,室伏,平山など70もの氏族が含まれる。源氏譜代の郎等として保元の乱(1156),平治の乱(1159)に〈中条新五新六,成田太郎,箱田次郎,河上三郎,別府次郎,奈良三郎,玉井四郎〉らが源義朝に従った。源頼朝挙兵時(1180)にも経兼曾孫の横山時広・時兼父子が頼朝に従い,御家人に列している。しかし1213年(建保1)和田合戦のとき,時広の妹が和田義盛の妻であった関係から和田氏に与力し,一族の勢力は衰退した。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「横山党」の意味・わかりやすい解説

横山党
よこやまとう

武蔵国横山荘に割拠した武士集団武蔵七党の一つ。のち鎌倉御家人となったが,建保1 (1213) 年和田義盛に加担して討伐され,衰えた。

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世界大百科事典(旧版)内の横山党の言及

【武蔵七党】より

…七党の数え方は一定せず,横山,猪俣,児玉,丹(たん)(丹治),西,野与(のよ),村山とする説,野与,村山の代りに綴(つづき),私市(きさい)を入れる説,西,村山を省いて綴,私市を加える説など種々の説がある。そのほとんどが武蔵守,武蔵介の子孫といわれ,横山党は小野篁(たかむら)の子孫武蔵守孝泰,猪俣党は孝泰の子武蔵介時資,児玉党は武蔵介有道(ありみち)維能,丹党は丹治氏で代々武蔵守を相継,西党は武蔵守日奉(ひまつり)宗頼,私市党は武蔵権守(姓不詳)家盛にそれぞれ始まるという。野与・村山両党は桓武平氏平忠常の子孫である。…

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