船木田荘(読み)ふなきだのしょう

百科事典マイペディア 「船木田荘」の意味・わかりやすい解説

船木田荘【ふなきだのしょう】

現在の東京都八王子市東部から日野市にかけての一帯を荘域とした荘園。武蔵国多西(たさい)郡(多摩郡西部)のうち。現八王子市中山の白山神社境内経塚から出土した仁平4年(1154年)銘の経典10巻の奥書に〈武蔵国西郡船木田御庄〉とみえ,〈小野氏人等〉などの記載がある。荘成立の経緯は不明だが,在地で当荘を掌握していたのは小野姓横山党の武士たちであったと思われる。その後本荘と新荘に分かれ,両荘ともに皇嘉門院領を経て,九条家領。1250年九条道家は本荘を子の九条忠家に,新荘を同じく子の一条実経に譲っているが,いずれも地頭請所となっていた。1334年一条経通は新荘を京都東福寺寄進,のち本荘も東福寺領となる。南北朝時代の年貢算用状によると荘内の郷村は多摩川支流の浅川(南浅川・北浅川),大栗川,谷地川流域の河岸段丘上に発達。また当時の武蔵守護上杉氏守護請となっていた。1388年には本荘・新荘ともに一国平均役を免除されたが,15世紀になると武州南一揆の成員である平山氏・梶原氏などの年貢押領が続き,ほどなく荘園としての実体を失ったと考えられる。

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改訂新版 世界大百科事典 「船木田荘」の意味・わかりやすい解説

船木田荘 (ふなきだのしょう)

武蔵国多西郡の浅川流域(現,八王子市および日野市の一部)にあった荘園。九条家領のちに東福寺領となる。本荘と新荘にわかれ,現在の八王子市川口・横川長房・中野(または東中野)・梅坪・宇津木・大谷・小比企・打越・柚木・大塚,日野市豊田・平山などの地にまたがる広大な荘域をもつ。1250年(建長2)九条道家は本荘をその子忠家に,新荘を同実経に譲った。ともに地頭請所で,御家人天野氏らが地頭に任ぜられている。14世紀中ごろまでに,両荘ともに東福寺に寄進され,東福寺では給主を任じ荘務を執行させ,絹・小袖などを年貢代物として寺に送らせた。これらの年貢(代銭)の徴収は,当時の守護上杉氏以下その守護代や,在地領主らの協力によって実現された。15世紀以降,鎌倉幕府や上杉氏の支配が動揺すると,荘の存在は,近隣の大石氏,平山氏,梶原氏などの南一揆に結集した土豪たちに年貢を抑留され,応仁の乱後有名無実となった。
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