デジタル大辞泉
「樺島勝一」の意味・読み・例文・類語
出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例
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樺島 勝一
カバシマ カツイチ
大正・昭和期の挿絵画家
- 生年
- 明治21(1888)年7月21日(戸籍:11月11日)
- 没年
- 昭和40(1965)年5月31日
- 出生地
- 長崎県諫早
- 本名
- 椛島 勝一
- 学歴〔年〕
- 商業学校中退
- 経歴
- 青年時代に上京、出版関係の仕事をしながら雑誌「海国少年」の表紙、口絵を画いた。大正11年朝日新聞に入り「アサヒグラフ」連載の織田小星作「正チャンの冒険」に童画を描き人気を得た。後朝日新聞の連載となり、毛糸で編んだ正チャン帽が流行した。15年ごろから挿絵画家に転じ、「新青年」や「少年倶楽部」に挿絵を描き、山中峯太郎の「敵中横断三百里」など、銅板を思わせる独得のペン画で人気を集めた。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報
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樺島勝一
かばしまかついち
(1888―1964)
挿絵画家、ペン画家。椛島(かばしま)とも書く。佐賀県蓮池(はすいけ)町生まれ。鹿児島市で育ち、高等商業学校に学んだが、生来の吃音(きつおん)のため、ことばに頼らなくてすむ画家の道を選んだ。大正末期、東京朝日新聞社の専属画工として織田小星との共作絵物語『正(しょう)チャンの冒険』で登場、昭和期には雑誌『少年倶楽部(くらぶ)』を中心に密描によるペン画の一枚絵および挿絵を発表、人気を得た。著書に『ペン画の描き方』(1926)がある。
[上笙一郎]
『『樺島勝一ペン画集』(1971・講談社)』▽『『樺島勝一画集』(1975・講談社)』
出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例
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樺島勝一 かばしま-かついち
1888-1965 大正-昭和時代前期の挿絵画家。
明治21年7月21日生まれ。大正11年(1922)朝日新聞社に入社。東風人の名で織田小星作の「正チャンの冒険」の絵を「アサヒグラフ」「朝日新聞」に連載。写実的で細密なペン画で「少年倶楽部(クラブ)」に冒険小説の挿絵をかき,人気をえた。昭和40年5月31日死去。76歳。長崎県出身。本名は椛島(かばしま)勝一。代表作に「敵中横断三百里」「吼(ほ)える密林」など。
出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例
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樺島 勝一 (かばしま かついち)
生年月日:1888年7月21日
大正時代;昭和時代の挿絵画家
1965年没
出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報
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