小説家、イラストレーター。東京都生まれ。東京大学文学部国文科卒業。在学中の1968年(昭和43)、学園闘争全盛期の東大駒場祭で、あまりにも有名になった「とめてくれるな おっかさん 背中のいちょうが 泣いている 男東大どこへ行く」のポスターを発表して一躍注目を浴び、イラストレーターとしての活動をスタート。1970年『週刊新潮』で「ぽるの日本史」の挿絵を1年間担当することに。1977年「桃尻娘」で『小説現代』新人賞佳作入選。翌1978年『桃尻娘』を刊行。にっかつ映画で映画化される(監督小原宏裕(おはらこうゆう)(1935―2004))。以降、小説はいうに及ばず、評論、エッセイ、シナリオ、古典現代語訳、画文集……と怒濤のごときハイペースで執筆活動を開始する。しかし小説家デビュー以前の1976年に戯曲『義経伝説』(1991年に刊行される)をすでに書いており、当時は劇作家を志していたとも。ちなみに、卒業論文のテーマは「四世鶴屋南北の劇世界」であった。だが、『桃尻娘』は、型破りな文体もさることながら、花の女子高校生が自由奔放に思うさま行動する、不逞(ふてい)な抵抗精神が横溢(おういつ)した異色の青春小説で、大きな衝撃を与えた。加えて当時の常識では、女子高校生が現実を担う社会の一員だという発想が世間にはなかった。橋本治は、それを単純に同じ人間なのだからという意識で書いたにすぎなかった。そのことは改めて指摘するまでもなく、すぐに時代が証明することになる。このシリーズは以後『その後の仁義なき桃尻娘』(1983)、『帰って来た桃尻娘』(1984)、『無花果少年(いちぢくボーイ)と瓜売小僧(うりうりぼうや)』(1985)、『無花果少年と桃尻娘』(1988)、『雨の温州蜜柑姫(おみかんひめ)』(1990)と登場人物たちが大人になるまで続いていく。評論の分野では画期的な少女マンガ論である『花咲く乙女たちのキンピラゴボウ』〈前篇〉〈後篇〉(1979、1981)を筆頭に、『蓮(はす)と刀』(1982)、『革命的半ズボン主義宣言』(1984)、『'89』(1990)、『貧乏は正しい!』シリーズ(1994~1996)などがあるが、なんといっても『完本チャンバラ時代劇講座』(1986)が圧巻。チャンバラ映画を核に、歌舞伎・講談・新劇・新国劇・浪花節・テレビにストリップといった大衆芸能娯楽をすべて俎上(そじょう)に上げ、通俗を喪失して「実直な優等生」となった日本と日本人とは何かを問う1400ページにおよぶ大著なのである。ここでいう通俗とは、いうまでもなく秩序からの自由、逸脱ということだ。それをかつての日本の大衆はチャンバラ映画や大衆小説に見出していたのだった。さらに日本の古典を桃尻語訳あるいは橋本語訳にした『桃尻語訳枕草子』上中下(1987、1988、1995)、『絵本徒然草(つれづれぐさ)』上下(1990、1993)、『窯変(ようへん)源氏物語』全14巻(1991~1993)、『古事記』(1993)、『双調平家物語』全15巻(1998~2007)もあり、まさに百科全書派の名にふさわしい活躍ぶりをみせた。
[関口苑生]
『『完本チャンバラ時代劇講座』(1986・徳間書店)』▽『『絵本徒然草』(1990、1993・河出書房新社)』▽『『義経伝説』(1991・河出書房新社)』▽『『古事記』(1993・講談社)』▽『『双調平家物語』(1998~2007・中央公論新社)』▽『『桃尻娘』『その後の仁義なき桃尻娘』『帰って来た桃尻娘』『無花果少年と瓜売り小僧』『無花果少年と桃尻娘』『雨の温州蜜柑姫』(講談社文庫)』▽『『花咲く乙女たちのキンピラゴボウ』『蓮と刀』『革命的半ズボン主義宣言』『'89』『桃尻語訳枕草子』(河出文庫)』▽『『貧乏は正しい!』(小学館文庫)』▽『『窯変源氏物語』(中公文庫)』
(2019-1-31)
出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報
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