橘家 円太郎(7代目)
タチバナヤ エンタロウ
- 職業
- 落語家
- 本名
- 有馬 寅之助
- 生年月日
- 明治35年 12月20日
- 出生地
- 東京・深川
- 経歴
- 深川区役所職員、代用教員、証券会社社員などの仕事を経て、大正13年大阪の橘ノ円に入門し、橘ノ百円の名で初高座にあがる。昭和9年蝶花楼馬楽の門に転じ、16年7代目橘家円太郎の名を襲名した。得意なネタに「紙くず屋」などがある。
- 没年月日
- 昭和52年 8月15日 (1977年)
- 伝記
- 私の出会った落語家たち―昭和名人奇人伝芸人という生き方―そして、死に方 宇野 信夫 著矢野 誠一 著(発行元 河出書房新社日本経済新聞社 ’07’99発行)
橘家 円太郎(4代目)
タチバナヤ エンタロウ
- 職業
- 落語家
- 本名
- 石井 菊松
- 生年月日
- 弘化2年 5月11日
- 出生地
- 江戸・浅草駒形(東京都)
- 経歴
- 三遊亭円朝門下となり、万朝、円好を経て4代目橘家円太郎を襲名。滑稽音曲噺を得意とした。鉄道馬車のラッパを吹いて高座に上ったので、ラッパの円太郎と呼ばれ、名声を博す。のちの円太郎馬車、円太郎バスの呼び名のもととなった。
- 没年月日
- 明治31年 11月4日 (1898年)
- 伝記
- 高座奇人伝 小島 貞二 著(発行元 筑摩書房 ’09発行)
橘家 円太郎(5代目)
タチバナヤ エンタロウ
- 職業
- 落語家
- 本名
- 斉藤 徳次郎
- 経歴
- 19歳で2代目三遊亭円馬門下となって伯馬を名乗り、のち4代目三遊亭円生の下で円三、橘家小円太。明治35年5代目橘家円太郎を襲名。37年京都・笑福亭の席主となり、以後は実業家としての活躍が目立った。
- 没年月日
- 昭和15年 (1940年)
橘家 円太郎(6代目)
タチバナヤ エンタロウ
- 職業
- 落語家
- 生年月日
- 文久1年 10月
- 経歴
- 三遊亭遊三(初代)門下の音曲師で、小遊三、公園を名乗った後、6代目橘家円太郎を襲名。「富山町」と呼ばれて小遊山、公園時代に売れ、音曲噺のレコードも残しているが、円太郎となってからは人気が落ちた。
- 没年月日
- ?
出典 日外アソシエーツ「新撰 芸能人物事典 明治~平成」(2010年刊)新撰 芸能人物事典 明治~平成について 情報
橘家 円太郎(7代目)
タチバナヤ エンタロウ
大正・昭和期の落語家
- 生年
- 明治35(1902)年12月20日
- 没年
- 昭和52(1977)年8月15日
- 出生地
- 東京・深川
- 本名
- 有馬 寅之助
- 経歴
- 深川区役所職員、代用教員、証券会社社員などの仕事を経て、大正13年大阪の橘ノ円に入門し、橘ノ百円の名で初高座にあがる。昭和9年蝶花楼馬楽の門に転じ、16年7代目橘家円太郎の名を襲名した。得意なネタに「紙くず屋」などがある。
橘家 円太郎(5代目)
タチバナヤ エンタロウ
明治期の落語家
- 生年
- (生年不詳)
- 没年
- 昭和15(1940)年
- 本名
- 斎藤 徳次郎
- 経歴
- 19歳で三遊亭円馬(2代目)門下となって伯馬を名乗り、のち三遊亭円生(4代目)のもとで円三、橘家小円太。明治35年5代目橘家円太郎を襲名。37年京都・笑福亭の席主となり、以後は実業家としての活躍が目立った。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報
橘家円太郎(5代) たちばなや-えんたろう
1865-1940 明治-昭和時代前期の落語家。
慶応元年生まれ。はじめ三遊亭円雀(のち2代三遊亭円馬)に,その後4代三遊亭円生に師事して三遊亭円三と称し,ついで橘家小円太と改名,京都におもむき笑福亭に出演。明治35年東京で5代円太郎を襲名したが,37年笑福亭の席主となって関西で活躍した。昭和15年5月ごろ,76歳で死去したという。江戸出身。本名は斎藤徳次郎。
橘家円太郎(7代) たちばなや-えんたろう
1902-1977 大正-昭和時代の落語家。
明治35年12月20日生まれ。大正14年大阪の橘ノ円(まどか)に入門して橘ノ百円を名のる。昭和10年5代蝶花楼馬楽(8代林家正蔵)の門下となり,18年7代円太郎を襲名。「紙くず屋」など音曲入りの落語を得意とした。昭和52年8月15日死去。74歳。東京出身。本名は有馬寅之助。
橘家円太郎(4代) たちばなや-えんたろう
1845-1898 明治時代の落語家。
弘化(こうか)2年5月11日生まれ。初代三遊亭円朝の門人で,初名は万朝。円好をへて4代を襲名。乗合馬車のらっぱをふいて高座にあがったので「らっぱの円太郎」とよばれた。ここから乗合馬車を「円太郎馬車」とよぶようになった。明治31年11月4日死去。54歳。江戸出身。本名は石井菊松。
橘家円太郎(初代) たちばなや-えんたろう
?-1871 江戸時代後期の落語家。
初代三遊亭円朝の父。もと武家の子。武家をきらって左官職となる。のち2代三遊亭円生の門にはいる。背中の彫り物から「駱駝(らくだ)」のあだ名があった。明治4年10月15日死去。本名は出淵(いずぶち)長蔵。
橘家円太郎(2代) たちばなや-えんたろう
?-1879 幕末-明治時代の落語家。
安政2年初代三遊亭円朝に入門。円三,栄朝をへて2代円太郎を襲名。その家業から「鮨屋円太郎」といわれた。のち新潟で5代司馬竜生を名のった。明治12年7月死去。江戸出身。名は豊次郎,豊吉ともいう。
橘家円太郎(6代) たちばなや-えんたろう
1861-? 明治-昭和時代前期の落語家。
文久元年10月生まれ。はじめは初代三遊亭遊三の門人で小遊三,ついで公園を名のる。4代橘家円蔵の弟子となり,大正6年6代円太郎を襲名した。本名は鈴木定太郎。通称は富山(とみやま)町。
橘家円太郎(3代) たちばなや-えんたろう
?-? 明治時代の落語家。
2代桂文楽(江戸5代桂文治)の門人金楽が初代三遊亭円朝に入門し,円寿をへて3代円太郎を襲名したとされる。
出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例
橘家円太郎(4世)
たちばなやえんたろう[よんせい]
[生]弘化2(1845).5.11. 江戸
[没]1898.11.14. 東京
落語家。本名石井菊松。1世三遊亭円朝門下。当時の鉄道馬車で用いられたらっぱを吹いて高座に上がったので「らっぱの円太郎」と称され,滑稽音曲噺をよくし人気があった。明治期の寄席四天王の1人。
橘家円太郎(7世)
たちばなやえんたろう[ななせい]
[生]1902.12.20. 東京
[没]1977.8.15. 東京
落語家。本名有馬寅之助。通称八王子の円太郎。1世橘ノ円 (まどか) 門下。8世林家正蔵門を経て,1943年8世桂文楽門で7世円太郎を襲名。『センターフライ』など自作も多く,音曲噺に長じた。
橘家円太郎(5世)
たちばなやえんたろう[ごせい]
[生]? 東京
[没]1940.5? 京都
落語家。本名斎藤徳次郎。3世三遊亭円馬門下,のち4世円生門下。 1902年5世を襲名。京阪で活躍。美声と能弁できこえ,音曲噺を得意とした。
橘家円太郎(6世)
たちばなやえんたろう[ろくせい]
[生]文久2(1861).10?
[没]?
落語家。本名鈴木定太郎。通称富山町。1世三遊亭遊三門下。のちに4世橘家円蔵門下に入り,1917年6世を襲名したが,29年引退。
橘家円太郎(1世)
たちばなやえんたろう[いっせい]
[生]?
[没]明治4(1871).10.15. 東京
落語家。武士の家に生れるが嫌って左官職人となり,のち2世三遊亭円生に入門,音曲師となる。1世三遊亭円朝の父。
橘家円太郎(2世)
たちばなやえんたろう[にせい]
[生]?
[没]1879.7? 新潟
落語家。家業から俗に鮨屋円太郎とも呼ばれる。 1878年新潟へおもむき5世司馬龍生を名のった。
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
橘家 円太郎(7代目) (たちばなや えんたろう)
生年月日:1902年12月20日
大正時代;昭和時代の落語家
1977年没
出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報
世界大百科事典(旧版)内の橘家円太郎の言及
【落語】より
…円朝と並ぶ人情噺の名手初代柳亭(談洲楼(だんしゆうろう))燕枝(えんし),やはり人情噺をよくした3代麗々亭柳橋(れいれいていりゆうきよう)(のち春錦亭柳桜(しゆんきんていりゆうおう))(1835‐97),芝居噺の名手6代桂文治,花柳物の名手4代桂文楽,落し咄,人情噺ともによくした2代古今亭志ん生,滑稽噺の2代柳家(禽語楼(きんごろう))小さんなどがそれだった。異彩を放ったのは,〈ステテコ踊り〉の,俗に初代ともいう3代[三遊亭円遊],鉄道馬車のラッパを吹く音曲師4代橘家(たちばなや)円太郎(?‐1898),〈郭巨(かつきよ)の釜掘り踊り〉の4代立川談志(?‐1889),〈ヘラヘラ踊り〉の三遊亭万橘(まんきつ)(?‐1894)という〈寄席四天王〉で,彼らは珍芸を売物にして人気を博した。珍芸流行の原因は,当時,東京市内が明治に入って最大の不況に見舞われ,特別に珍奇な芸でなければ客が呼べないという事情もあったが,時流からみれば,明治になって東京に集まって来た,寄席になじみのない新しい客層を開拓する手段であり,それは,江戸時代以来の続き物の人情噺が歓迎されなくなってきたことの証明でもあった。…
※「橘家円太郎」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」