鉄道馬車(読み)テツドウバシャ

デジタル大辞泉 「鉄道馬車」の意味・読み・例文・類語

てつどう‐ばしゃ〔テツダウ‐〕【鉄道馬車】

レールの上を走る乗合馬車日本では明治15年(1882)東京新橋日本橋間の開通最初で、各地でみられた。馬車鉄道

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精選版 日本国語大辞典 「鉄道馬車」の意味・読み・例文・類語

てつどう‐ばしゃテツダウ‥【鉄道馬車】

  1. 鉄道馬車〈東京風俗志〉
    鉄道馬車〈東京風俗志〉
  2. 〘 名詞 〙 鉄道線路を走る乗合馬車二頭の馬が二五、六人乗りの客車一両を牽引した。一八三六年ニューヨークで開業したのが最初。日本では、明治一五年(一八八二)六月、新橋~日本橋間を走ったのが最初で、のち、大阪函館など、各地に敷設された。東京では同三六年、市街電車にとって代わられている。
    1. [初出の実例]「鉄道馬車 同馬車は昨廿五日仮に業を開き、午前十時に発車を為し」(出典:東京日日新聞‐明治一五年(1882)六月二六日)

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改訂新版 世界大百科事典 「鉄道馬車」の意味・わかりやすい解説

鉄道馬車 (てつどうばしゃ)

軌道上に馬車を走らせるという輸送手段は,18世紀ごろからヨーロッパの炭坑などで出現していたが,都市交通機関としての馬車鉄道は,19世紀半ばアメリカの各都市に出現した。日本では1869年(明治2)北海道茅沼炭坑で,軌道上を牛が炭車を引く方式が採用されたが普及しなかった。都市交通機関としては1882年6月25日,東京馬車鉄道会社が新橋~日本橋間で開業,10月1日までに日本橋~上野浅草~本石町~日本橋の循環線が完成した。軌間は4フィート6インチ(約1372mm),定員24~27人の馬車を2頭の馬が引いた。この馬車鉄道は,新橋と上野という南北の鉄道のターミナルを結ぶ交通機関として利用者が多く,1902年には車両300両,馬2000頭を保有したという。こののち,各地で馬車鉄道が開業したが,東京のような都市交通機関としてではなく,(1)都市と郊外とを結ぶもの,(2)鉄道開通前の街道における輸送機関,(3)鉱石などの輸送機関,がそのほとんどであった。1889年の秋田馬車鉄道は(1),1888年の碓氷馬車鉄道は(2),1907年の赤井軌道は(3)に属する。これらの馬車鉄道は1890年8月25日公布の軌道条例(のち1921年4月14日公布,24年1月1日施行の軌道法)によって規制され,49年銀鏡(しろみ)軌道組合の解散まで各地で運輸営業を続けた。(2)(3)のものは軌間762mm,914mmといった小型のものが多かった。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「鉄道馬車」の意味・わかりやすい解説

鉄道馬車
てつどうばしゃ

馬車鉄道ともいい、軌道上を走る馬車の輸送機関。1836年ニューヨークで市内交通機関として現れ、1854年にパリ、1861年にロンドン、1865年にベルリンと、世界の各都市に広まった。

 日本では、1882年(明治15)6月、東京馬車鉄道会社により新橋―日本橋間に開通し、続いて10月には日本橋―上野―浅草―浅草橋―日本橋間が開通した。車両はイギリス製と日本製とを混用しており、4フィート6インチ(1372ミリメートル)幅の軌道上を、定員24~28名の客車1両を2頭の馬が牽引(けんいん)した。乗合馬車に比べてたいへん快適とされ、その後全国各地に広まり、1891年に大阪、1898年には函館(はこだて)でも開通した。しかし、京都の市街電車をまねて東京でも1903年(明治36)東京馬車鉄道は電車に変わり、後の市電、都電の基礎となった。地方都市でもしだいに鉄道馬車は電車やガソリンカーにかわり、第一次世界大戦前にはほぼ姿を消したが、地方によっては昭和の初めまで残っていた。

[山内まみ]


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百科事典マイペディア 「鉄道馬車」の意味・わかりやすい解説

鉄道馬車【てつどうばしゃ】

鉄の軌道上を走る馬車。日本では都市交通機関としては1882年,東京馬車鉄道会社が新橋〜日本橋間を乗客輸送したのが初め。各地で運行されたが電車の発達につれ廃止された。

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旺文社日本史事典 三訂版 「鉄道馬車」の解説

鉄道馬車
てつどうばしゃ

明治前期,軌道上を走る2頭立の馬車
馬車鉄道ともいう。1882年新橋〜日本橋間に開通したのが最初。やがて浅草〜上野〜新橋間を往復するようになり,乗合馬車を駆逐した。'95年京都で開通した路面電車におされ,しだいに消滅したが,地方では昭和初年までみられた。

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「鉄道馬車」の解説

鉄道馬車
てつどうばしゃ

馬車鉄道(ばしゃてつどう)

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世界大百科事典(旧版)内の鉄道馬車の言及

【乗合馬車】より

…やがて料金は1区1銭5厘に値上げされ,また品川~新橋間その他にも路線が開かれ,77年9月には雷門~新橋間のものだけで車両数87,1日平均売上げは100円にも達する盛況を見せた。しかし,82年6月に鉄道馬車が開設されるとしだいに中央部から駆逐され,さらに市内電車が登場,その路線の伸長に伴って,1910年には東京市内の乗合馬車はまったく姿を消した。東京以外では1873年に京都~大阪間を5時間で結ぶ路線が開通,79年以降東京~宇都宮,東京~水戸といった区間の営業も行われた。…

※「鉄道馬車」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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