精選版 日本国語大辞典 「檜垣嫗」の意味・読み・例文・類語 ひがき‐の‐おうな【檜垣嫗】 平安中期の伝説的女流歌人。筑紫白川の遊女という。大宰大弐の藤原興範や小野好古(よしふる)、肥後守となった清原元輔らと交渉があったと「後撰集」「大和物語」などに見えるが、年時が長期にわたりはっきりしない。九州の遊芸を伝えた女性たちを一つの代表的な名称で呼んだものか。家集とされる「檜垣嫗集」は後人の創作か。「檜垣[ 二 ]」の主人公。生没年不詳。 出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報 | 凡例 Sponserd by
改訂新版 世界大百科事典 「檜垣嫗」の意味・わかりやすい解説 檜垣嫗 (ひがきのおうな) 平安朝の筑前の遊女(あそびめ)で歌人。生没年不詳。《後撰和歌集》に,911年(延喜11)に大宰大弐となった藤原興範(おきのり)が筑前の白川で水を乞うたとき,老いを嘆く〈年ふればわが黒髪も白川のみづはぐむまで老いにけるかな〉の歌を詠みかけたと見えるが,《大和物語》は興範を30年後の小野好古とし,家集《檜垣嫗集》では清原元輔が肥後守となった70余年後の歌人とする。機智的な即詠を得意とする遊女として伝承され,後人によって家集も編纂されているが,その生涯は明らかではない。執筆者:上野 理 出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報 Sponserd by
朝日日本歴史人物事典 「檜垣嫗」の解説 檜垣嫗 生年:生没年不詳 平安時代の伝説的歌人。肥後国筑紫(福岡県)に住み,色好みとして都にまで知られていた。肥後の遊女ともいう。『後撰集』には,代表作「年ふれば我が黒髪も白河のみづはくむまで老いにけるかな」が大宰大弐藤原興範に贈った歌として載るが,相手は大弐小野好古(『大和物語』),国守(『檜垣嫗集』)ともいい,実体は定かではない。『後撰集』に従って延喜(901~23)ごろの人とすべきか。家集『檜垣嫗集』はその作とは認められぬ虚構性濃厚な物語的歌集で,清原元輔との関係を強調する。のちに,清少納言が彼女の娘とされた(『無名草子』)一因はここにあろう。謡曲「檜垣」は,檜垣嫗伝説に取材したもの。 (青木賜鶴子) 出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報 Sponserd by
デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「檜垣嫗」の解説 檜垣嫗 ひがきのおうな ?-? 平安時代中期の歌人。筑紫(つくし)白川(熊本県)の遊女とつたえられる。「後撰和歌集」に「年経(ふ)ればわが黒髪も白川のみづはくむまで老いにけるかな」の1首があり,歌の相手は大宰大弐(在任911-916)藤原興範(おきのり)とされるが,「大和物語」では小野好古,「檜垣嫗集」では清原元輔となっている。 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例 Sponserd by