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小野好古 おののよしふる

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

小野好古
おののよしふる

[生]元慶8(884)
[没]安和1(968).2.14.
平安時代中期の武将。小野篁の孫。承平8 (938) 年右近衛少将に任じられ,前伊予掾藤原純友が反乱すると (→承平・天慶の乱 ) ,山陽道追捕使兼南海道追捕使となり,兵を海陸に進め,天慶4 (941) 年,筑前博多津において大勝を得る。

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デジタル大辞泉の解説

おの‐の‐よしふる〔をの‐〕【小野好古】

[884~968]平安中期の武人・歌人。道風の兄。藤原純友(ふじわらのすみとも)の乱に、追捕使(ついぶし)として、これを鎮定。歌は後撰集拾遺集に収載。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

小野好古 おのの-よしふる

884-968 平安時代中期の武人,公卿(くぎょう)。
元慶(がんぎょう)8年生まれ。小野篁(たかむら)の孫。小野道風(みちかぜ)の兄。天慶(てんぎょう)3年追捕(ついぶ)凶賊使となり,藤原純友(すみとも)の乱を鎮圧。のち参議,従三位。大宰大弐をつとめ,太宰府天満宮曲水の宴を創始したという。和歌にもすぐれ,「後撰和歌集」などに歌がおさめられている。康保(こうほう)5年2月14日死去。85歳。

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朝日日本歴史人物事典の解説

小野好古

没年:安和1.2.14(968.3.15)
生年:元慶8(884)
平安中期の公卿。葛絃の次男,道風の兄。野大弐,野宰相とも。「武勇の人」として知られ,天慶3(940)年1月,藤原純友の反乱に際し山陽,南海両道の追捕使に任じられて下向,翌年5月,兵船を率いて大宰府(太宰府市)に渡り純友軍を討った。天暦1(947)年参議になる。のち2度も大宰大弐に任じられているが,祖父篁の血を継いで文雅の才もあり,康保1(964)年10月,菅原道真の廟所だった安楽寺(のち廃絶。太宰府市)で大宰府の官人を集めて残菊宴を行ったことは有名。これが当廟における同種の文芸行事のさきがけとなった。『拾遺和歌集』『後撰和歌集』などに多数の歌を残す。野内侍と呼ばれた娘も歌人。

(瀧浪貞子)

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世界大百科事典 第2版の解説

おののよしふる【小野好古】

884‐968(元慶8‐安和1)
平安中期の官人。大宰大弐葛絃の子,参議篁の孫。右衛門権佐などを経て右近衛少将に進み,940年(天慶3)追捕山陽南海凶賊使の長官として藤原純友追討に向かった。翌年5月純友は大宰府に放火し略奪を行ったが,追討軍はこれを追って筑前国博多津(福岡市)に攻めた。好古は陸路より,藤原慶幸,大蔵春実らは海路より進んだが,春実の奮戦はとくにめざましく,純友は大敗して伊予国に逃れ,6月に殺され,好古は8月に帰京した。

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大辞林 第三版の解説

おののよしふる【小野好古】

884~968) 平安中期の武将・歌人。大宰大弐。小野道風の兄。藤原純友の乱に追捕使として伊予国に赴き鎮圧した。歌は後撰集にみえる。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

小野好古
おののよしふる
(884―968)

平安中期の武人。歌人としても著名。参議篁(たかむら)の孫で、大宰大弐(だざいのだいに)葛絃(くずお)の子。書家で有名な道風(とうふう)の兄。母は王氏の女(むすめ)。右衛門権佐(うえもんのごんのすけ)、中宮大進(だいしん)、右近衛(うこんえ)少将など京官を歴任する。940年(天慶3)西国を舞台に起こった藤原純友(すみとも)の乱(天慶(てんぎょう)の乱)で山陽、南海両道の追捕使(ついぶし)となり、伊予国(愛媛県)に向かい、ついで大宰府管内で略奪を働いていた純友を筑前(ちくぜん)国(福岡県)博多津(はかたのつ)に破り捕らえた。その功によって山城守(やましろのかみ)、大宰大弐などを経て参議に進み、ついで従三位(じゅさんみ)に叙せられた。康保(こうほう)5年2月14日卒す。『後撰(ごせん)集』『大和(やまと)物語』などに好古の歌がとられている。[朧谷 寿]

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世界大百科事典内の小野好古の言及

【小野氏】より

…古代の豪族。和珥(わに)氏の同族。《古事記》の氏族系譜によれば孝昭天皇の皇子天押帯日子(あめのおしたらしひこ)命を始祖とする。天武朝の八色(やくさ)の姓で臣から朝臣となった。和珥氏同族の本拠である大和の添上郡(奈良市南東部)や,山城の愛宕郡小野郷(京都市左京区),宇治郡小野郷(京都市山科区)に勢力をもった。また近江の滋賀郡小野村(滋賀県志賀町)は氏の起こる所と伝え,氏神の小野神社があり,平安初期には同族の粟田氏,大春日氏,布瑠(ふる)氏も氏神として崇拝していた。…

【藤原純友の乱】より

…畿内から九州東部にかけての諸勢力を結集し,一大勢力となった純友の海賊連合軍は,京都に連夜放火して社会不安を醸成するとともに,上京途上の国司を捕らえたり,備中・淡路を襲い兵器を奪いとったりした。朝廷は小野好古を追捕凶賊使に任ずるかたわら,東西両面作戦を回避するため純友に従五位下を授け懐柔しようとした。940年2月好古から純友が海路上洛中との報が入り,政府は山崎・川尻の警固を強化し緊張が高まったが,純友軍の京都突入はなかった。…

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