大和物語
やまとものがたり
平安時代中期の歌物語。作者不明。成立は951年(天暦5)ごろ現存本168段あたりまでほぼ成立、以後『拾遺集(しゅういしゅう)』成立(1005ころ~07ころ)ごろまでに169段から173段まで、および他にも部分的な加筆があるらしい。内容は173段にわたる歌語りの集成であるが、単なる機械的な打ち聞き記録の域を超えて、虚構ないし潤色とみられる部分も少なくない。陽成(ようぜい)~醍醐(だいご)朝にわたる、僧侶(そうりょ)男女貴賤(きせん)140余名に上る人の歌295首を含み、話題は多様である。前半は当代の宮廷に生まれた歌語りを主とし、後半は、姥捨(おばすて)山、芦刈(あしかり)、立田(たつた)山などの古い伝承が多い。各段の配列に際しては、巻頭に宇多(うだ)天皇に関する説話を置くなど、身分本位の古代説話集の部類方法に通ずるところもあり、また勅撰(ちょくせん)歌集に似た部類意識もないわけではないが、全体としては、登場人物による取りまとめ、素材の類似性、語彙(ごい)の共通性など、かなり自由な連想作用によって、章段と章段とは連接されている。全編にわたる主題的統一性は微弱で、一見無秩序にみえるが、こうした連鎖的構成がその雑纂(ざっさん)的形態を支えている。また、先行する『伊勢(いせ)物語』の影響下にあるものの、それにあった強烈で純粋な叙情性は薄く、世俗的なゴシップの次元に密着しており、当代の文芸の平均的な実態を伝える点が多い。
伝本は、二条家本系統と六条家本系統とに大別される。前者に属する弘長(こうちょう)元年(1261)写の藤原為家(ためいえ)筆本が最善本とされており、従来流布した定家(ていか)本もおおむね二条家本である。
また六条家本では、九州大学図書館蔵勝命(しょうめい)本は、為家本と同じころの写にかかるが、134段以降の零本(れいほん)であり、近世初期写の御巫(みかなぎ)本・鈴鹿(すずか)本もこの系統といわれるが、勝命本との間にはかなりの異同がある。
[今井源衛]
『阿部俊子著『校本大和物語とその研究』(1954・三省堂)』▽『柿本奨著『大和物語の注釈と研究』(1981・武蔵野書院)』▽『阿部俊子・今井源衛校注『大和物語』(『日本古典文学大系9』所収・1957・岩波書店)』▽『高橋正治校注・訳『大和物語』(『日本古典文学全集8』所収・1972・小学館)』
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やまとものがたり【大和物語】
平安中期の歌物語。作者は、
花山院、敦慶親王女房
大和など
諸説ある。天暦(
九四七‐九五七)頃の成立。百七十余段からなり、前半は当時の貴族社会における生活儀礼としての
和歌の
諸相を、
贈答の軽妙さなどに
重点をおいて示し、後半約三〇段は、物語的、説話的
傾向の大きい歌話を集めている。「伊勢物語」が作り物語、日記文学への
移行を示すのに対し、
説話文学への
契機を持つといわれる。
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大和物語
やまとものがたり
平安時代中期の和歌説話集。作者未詳。2巻。約 173段。伝本により出入りがあり,成立事情は複雑であるが,天暦5 (951) ~6年頃には現存本に近い形態が成立していたと推定される。全体は大きく2部に分れ,主として宇多上皇を中心とする廷臣,女性たちに関する和歌説話を集めた部分と,葦刈り説話,菟原処女 (うないおとめ) 説話などの伝承的な和歌説話を集めた部分から成る。
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大和物語
やまとものがたり
平安中期の物語文学
10世紀ごろ成立。2巻。作者不詳。「伊勢・大和」と並び称せられ,『伊勢物語』とともに作歌道の教養書として尊重された歌物語。和歌を主題とした説話が多く,作者の興味が和歌よりも説話に移っている。
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やまとものがたり【大和物語】
平安中期の歌物語。作者未詳。天暦(947~957)ごろの成立、のち増補されたといわれる。和歌を主とし、恋愛・伝説などを主題とする170余編の説話を収録。
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やまとものがたり【大和物語】
平安時代の歌物語。10世紀の中ごろに成立し,その後若干の増補が行われたと考えられる。書名の〈大和〉の根拠は不明であり,また作者についても,多くの推定説が提出されているものの現在のところ明証がない。約173段の小話から成り,《伊勢物語》とともに歌物語の代表とされるが,しかし《伊勢》は在原業平に擬せられる一人の〈男〉の一代記的な構成をもっているのに対し,この作品は一貫した主題や中心となる特定の主人公をもたない,雑然とした和歌説話集という体裁である。
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世界大百科事典内の大和物語の言及
【蘆刈説話】より
…アシの名所難波を背景とする夫婦愛を描いた説話。《大和物語》百四十八段にみえるのが古いかたち。ある貧しい夫婦が難波に住んでいたが,男は思いわずらった末に女を京へやり,宮仕えさせる。…
【伊勢物語】より
…その多くは純粋な愛情をもととした美しいあるいは激しい行動であるが,ただあくまで都市貴族的な価値観に基づくものであるから,粗野な田舎者を蔑視するなど,普遍的な人間愛とは距離がある。またその表現には,同じく歌物語と呼ばれる《大和物語》の場合のような世俗性,ゴシップ性への密着がみられず,逆にそれらを払拭して,より普遍的感覚的な言葉に置きかえる。業平らしい男の行為を記すに当たって,これを〈男〉,相手を〈女〉と記すのはその端的な表れであり,固有名詞を極度に削り去ることで,詩的な内面化,象徴化を果たしたのである。…
【歌物語】より
…語彙としては二義あり,一つは早く《栄華物語》(〈浅緑〉)にもみえ,歌にまつわる小話の意で,当時〈うたがたり〉と呼ばれた口承説話とほぼ同一内容のものと思われる。二つは近代に入ってからの新しい用法で,《竹取物語》《宇津保物語》などを〈作り物語〉と古くから呼んできたのに対して,《伊勢物語》《大和(やまと)物語》《平中(へいちゆう)物語》の三つを新しく区別して呼んだのであり,文学史記述の便宜から生じた用語である。現在ではこの第二義の面で論じられることが多い。…
【菟原処女】より
…兵庫県六甲山南麓菟原(うはら)の地(現,芦屋市周辺)に住んでいたという美少女。万葉歌人高橋虫麻呂,田辺福麻呂(さきまろ),大伴家持に歌われ(巻九,十九),後世《大和物語》147段,謡曲《求塚(もとめづか)》,森鷗外の戯曲《生田川》にもなった妻争い伝説の女主人公である。慕い寄る男たちの中でとりわけ執心なのが菟原壮士(うないおとこ)と和泉国の智弩壮士(ちぬおとこ)だった。…
※「大和物語」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
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