《小倉百人一首》のかるた会をいう。百人一首のかるた札は,元和年間(1615-24)の道勝法親王筆によるものが最初といわれているが,現存していないので真偽はわからない。1685年(貞享2)京都松葉屋が,木版刷りのかるたを売り出したころからかるた遊びは一般庶民に流行,しだいに正月の遊びに織りこまれていった。当時,取札をまいておいてとる〈ちらし取り〉のほかに,2組に分かれて行う〈源平戦〉なども併用された。明治に入ってから1対1の競技かるたが生まれ,研究団体,競技団体がつくられて各地で練習会を開催,選手は自分たちの技量を他流試合に求めはじめた。これに着目した黒岩涙香は,かるた早取法を考案し,東京かるた会を設立,会長となった。彼は従来の変体仮名の札を総平がなに改めた〈標準かるた〉を考案,この札で1904年2月11日万朝報新聞社の主催で第1回競技かるた大会を開催した。参加者は小倉会,紅葉会など100余名であった。34年大日本かるた協会が設立され,70余団体が加盟。36年に段位を制定,登録者は116名であった。61年には名人戦が誕生し,毎年1月第2土曜日に名人位決定戦が行われている。競技方法は,相対する2人の間で行い,持札を各25枚とし,早く持札がなくなったものを勝者とする。誤って,自己の持札にも相手方にもない札に手を触れたとき〈お手付き〉とし,札1枚が相手方からおくられる。
執筆者:伊藤 秀文
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
かるたを用いて勝敗を争う室内遊戯。普通、小倉(おぐら)百人一首の歌がるたを用いるものをいう。平安時代から上流社会で行われた貝合(かいあわせ)が、のち木札を用いるようになり、江戸時代の貞享(じょうきょう)年間(1684~88)京都の松葉屋から厚紙に木版で刷った歌がるたが売り出されるに及び一般に普及した。取り札全部を散らしておき、読み手の読む歌にしたがって取った札の多少を競ったり、源平の2組に分かれて争ったりした。明治になって一対一で行う競技方法が生まれ、研究団体などもでき、黒岩周六(涙香(るいこう))により、1904年(明治37)萬朝報(よろずちょうほう)主催の第1回競技会が開かれた。尾崎紅葉の『金色夜叉(こんじきやしゃ)』には、このころの家庭内でのかるた会のようすが描かれている。また1934年(昭和9)には大日本かるた協会が発足し、ついで段位も制定されるなどした。第二次世界大戦後は、全日本かるた協会主催により、61年(昭和36)から毎年1月に、名人位・クイーン位決定戦が催されている。
[佐藤農人]
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