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金庾信 きんゆしんKim Yusin

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

金庾信
きんゆしん
Kim Yusin

[生]真平王17(595)
[没]文武王13(673)
朝鮮,新羅の武人,政治家。金官国系王族の出身で,太宗武烈王の義弟。幼少にして花郎 (新羅の貴族青少年団) に身を投じ,百済高句麗と戦って功績をあげた。ことに唐と結んで武烈王7 (660) 年に百済を,文武王8 (668) 年に高句麗を滅ぼして大功を立てた。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

金庾信 こん-ゆしん

595-673 新羅(しらぎ)(朝鮮)の武将。
真平王17年生まれ。妻は太宗武烈王の娘。660年百済(くだら)との戦いで功をたて,668年高句麗(こうくり)平定の際は新羅軍の総帥をつとめた。「日本書紀」によると,天智天皇7年(668)藤原鎌足(かまたり)から船1隻をおくられたという。文武王13年7月1日死去。79歳。

出典|講談社
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世界大百科事典 第2版の解説

きんゆしん【金庾信 Kim Yu‐sin】

595‐673
朝鮮,新羅の貴族,武将。金海加羅王の子孫,王京(慶州)の人。7世紀に新羅が朝鮮三国を統一する過程で軍事の中心となった歴戦の名将。15歳で新羅独特の貴族青年集団の指導者である花郎となり,竜華香徒をひきいて山野に修行し,629年,35歳のとき高句麗との戦闘に加わり劣勢の新羅軍をたてなおして娘臂城を抜き,一躍武名をとどろかせた。42年押梁州(慶山)軍主になると,百済の攻勢を防ぎつつ地方勢力の結集と将兵の再編とに努め,新羅軍の面目を一新する基盤をきずいた。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説


きんゆしん
(595―673)

朝鮮、三国統一に貢献した新羅(しらぎ)の将軍。532年新羅に併合された金官国王金仇亥(きんきゅうがい)を曽祖(そうそ)にもつ加耶(かや)系の人物。しかし、一族は代々、骨品制において聖骨とともに新羅の王族である真骨(しんこつ)貴族として活躍している。15歳で花郎(かろう)(新羅貴族の青年戦士団の指導者)となって衆望を集め、とくに後の武烈王となる金春秋と親交があった。647年に善徳女王を廃そうとした(ひどん)の乱の鎮圧に功があり、高句麗(こうくり)、百済(くだら)を滅ぼし、さらに唐との対立にまで発展する新羅の三国統一戦争ではつねに先頭に立つなど、軍事面で大いに活躍した。[木村 誠]

出典|小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)
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