ディルタイ(読み)でぃるたい(英語表記)Wilhelm Dilthey

日本大百科全書(ニッポニカ) 「ディルタイ」の意味・わかりやすい解説

ディルタイ
でぃるたい
Wilhelm Dilthey
(1833―1911)

ドイツの哲学者。11月19日、ウィースバーデンで生まれる。ハイデルベルク、ベルリン両大学で、ランケ、トレンデレンブルクなどのもとで歴史と哲学、神学を学ぶ。1864年ベルリンで「道徳的意識の分析の試み」で教授資格を取得。1866年以後バーゼル、キールブレスラウの各大学の教授を歴任し、1882年ベルリン大学へロッツェ後任として招聘(しょうへい)される。彼の哲学的関心は、「精神的諸現象の経験科学を基礎づけること」(『著作集』第5巻)にあり、自然科学に対して精神科学の独立性を証明し、方法論的に確実なものとすることであり、カントに倣って「歴史理性批判」を企てた。ヘーゲル主知主義形而上(けいじじょう)学的体系に対抗し、いかなる超越も認めず、「生」という原事実を内面から理解しようとする。ここから、ニーチェと並んで、ドイツにおける生の哲学の代表者とみなされている。1911年10月1日没。

 ディルタイにおける「生」は、個々の人間のものではなく、私と世界とを共通に包括する連関の総体であり、形なく流れるものではなく、歴史的過程において展開する秩序の全体を意味する。この生を叙述し、把握する範疇(はんちゅう)は、外面的な自然の範疇とは異なり、最小単位として「体験」、すべての体験を全体的に関係づける「連関」、生の部分と全体との関係を示す「意味」などが基本的なものとされる。さらに、個々の体験の特殊な内容を捨象した形式的な概念としての「構造」「発展」が、歴史的世界の把握に必要とされる。ディルタイの哲学的方法は、ロマン主義の解釈学の方法を普遍的に拡大した「生の解釈学」である。すなわち歴史的世界は、あたかもあるテキストのように取り扱われ、部分は全体のなにかを「表現」し、また部分の意味は、この全体から決定されているといわれる。歴史のなかのいっさいは「了解」される。なぜならば、すべてはテキストであり、「一つのことばの諸文字のように、生と歴史はある意味を有する」(第7巻)からである。

 ディルタイの派にはミッシュGeorg Misch(1878―1965)、シュプランガーらが属し、ディルタイの思想はハイデッガーや現代の哲学的解釈学に大きな影響を与え、そのヘーゲル的要素などが批判されるにもかかわらず、いまなお重要な存在価値をもっている。既刊19巻の著作集のうち主著とみなされうるのは、第7巻の『精神科学における歴史的世界の構成』(1910)である。

[小田川方子 2015年3月19日]

『尾形良助訳『精神科学における歴史的世界の構成』(1981・以文社)』『西村晧・牧野英二編『ディルタイ全集』全11巻・別巻1(2003~ ・法政大学出版局)』『O・F・ボルノー著、麻生建訳『ディルタイ その哲学への案内』(1977・未来社)』

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ディルタイ」の意味・わかりやすい解説

ディルタイ
Dilthey, Wilhelm

[生]1833.11.19. ビープリヒアムライン
[没]1911.10.1. ザイスアムシュレルン
ドイツの哲学者。生の哲学の創始者。 1866年バーゼル,68年キール,71年ブレスラウ,82年ベルリンの各大学教授。最初,自然科学に対して精神科学の領域を記述的分析的心理学の方法によって基礎づけた。次いでカントの批判精神の影響を受け,ヘーゲルの理性主義,主知主義に反対して,歴史的理性の批判を提唱,歴史的生の構造を内在的に,すなわち体験,表現,理解 (了解) の連関から把握することを主張した。晩年には世界観の研究に到達し,哲学的世界観の類型を析出したが,相対主義的傾向を強めた。また解釈学の領域では青年時代のシュライエルマッハーの解釈学の研究を経て,歴史的生の理解,歴史的意味の理解を中心とする解釈学の方法論を確立した。彼の解釈学,歴史哲学は実存哲学,文芸学,様式学,類型論に大きな影響を与えている。主著『シュライエルマッハー伝』 Leben Schleiermachers (1870) ,『精神諸科学における歴史的世界の構成』 Der Aufbau der geschichtlichen Welt in den Geisteswissenschaften (1910) ,『世界観の研究』 Die Typen der Weltanschauung (11) など。

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