水守村(読み)みもりむら

日本歴史地名大系 「水守村」の解説

水守村
みもりむら

[現在地名]筑波町水守

田中たなか村の南に所在。筑波稲敷つくばいなしき台地上に居住区があり、台地北方に水田が広がる。村域には土師器・皿・墨書土器などを出土し、円墳二基が残る水守古墳群、土師器・須恵器の出土をみる水守遺跡があり、桜塚さくらづか古墳には粘土槨木棺が存在し、銅鏡・石釧・勾玉・管玉・短剣・ガラス玉・腕輪が出土。四世紀末―五世紀初めの築造といわれ、山木やまき古墳とともに桜川流域の開発に関する重要な古墳。

当村は「和名抄」の筑波郡水守郷の地で、一町田いつちようだ反町そりまち下一町田しもいつちようだなどの小字があり、田中村から当村にかけての水田地割が整然としていることから、古代条里田の遺構と考えられる。水守は平将門の乱に際して反将門勢力の拠点となり、常陸平氏本宗平国香の弟良兼が上総・下総から、承平六年(九三六)六月二六日に「常陸国信太郡ノ前ノ津ニ着ク。其ノ明日ノ早朝ヲ以テ、同国水守ノ営所ニ着ク」と「将門記」にみえている。


水守村
みずもりむら

[現在地名]藤枝市水守・本町ほんまち四丁目・藤岡ふじおか二丁目

東海道藤枝宿の東に位置し、北境を葉梨はなし川が東流する。東海道に面する村の一部は同宿左車さぐるま町の一部を形成していた。左車の地名は、建長四年(一二五二)宗尊親王征夷大将軍に任ぜられて鎌倉に下向する途中、当地で乗物の左輪が破損し、修復する間ここで休息したことによるという(駿河志料)。この故事にちなんで後世当地に曹洞宗の左車山休息きゆうそく(休足)寺が開かれたが、明治に入って廃寺となり、現在寺跡は成田山新護しんご(真言宗智山派)と左車神社の境内地となっている。永禄一二年(一五六九)三月二〇日の今川氏真判物写(諸家文書所収西郷木工所蔵文書)に「佐車・水森」両郷とみえ、今川氏真は武田信玄の駿河侵攻の折に氏真に随行した西郷信房に対し、離反した近藤周防守の知行地であった佐車・水森みずもり両郷のうち二万疋(二〇〇貫文)を恩賞として与えている。


水守村
みともりむら

[現在地名]輪島市水守町

釜屋谷かまやだに村の南、鳳至ふげし川下流西岸の河岸段丘・山地に立地。村名は用水の裁許をする者が居住していたことに由来といい、もと当地を輪島と称し、郡の中心として栄えていたが、兵乱と水難で分散したという(能登志徴)正保郷帳に村名がみえ、高一一八石余、田方六町六反余・畑方一町三反余。承応三年(一六五四)の村御印では高一二六石余、免六ツ五歩(能登奥両郡収納帳)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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