翻訳|aquarium
各種の水生生物(水族)を飼育し、その展示を社会教育と娯楽に役だてる施設。アクアリウムともいう。
世界最古の水族館については諸説があるが、水圧に耐える板ガラスを水槽に初めて用いたという点で、1853年にできたロンドン動物園のフィッシュ・ハウスを世界初とするのが妥当であろう。当時の水槽はすべて止水式であったが、1860年にイギリスのW・A・ロイドが循環式水槽を発明してから、パリ(1860)、ハンブルク(1864)、ロンドン(1871)、ナポリ(1874)などヨーロッパ各地に次々と本格的な水族館が開設された。19世紀末から20世紀初めにかけて、電力が実用化されるに及んで、水族館の内部設備にも大改革がもたらされ、各先進国は競って大規模な水族館を建設した。そのおもなものは、ニューヨーク水族館(1896年開館、水槽数131)、100の大小水槽のほか両生類・爬虫(はちゅう)類を多数展示したベルリン動物園水族館(1913年開館)、サンフランシスコのスタインハート水族館(1923年開館、水槽数158)、ロンドン動物園水族館(1924年開館、水槽数90)などで、いずれも循環式の淡水・海水両設備をもち、飼育水の加熱・冷却装置も備えていた。それらの頂点に位置づけられるのがシカゴのジョン・G・シェッド水族館(1929年開館)であり、放射状のギャラリーに203の水槽を展示し、それ以外に175もの予備水槽があった。また、海洋生物は専用の輸送貨車ノーチラス号で大西洋・太平洋から運ばれ、淡水魚はほぼ世界中から集められていた。
これらの水族館は当初、いずれも公共団体が運営していたが、その後私企業が経営に乗り出し、フロリダのマリン・スタジオ(1938年開設)に代表されるようなまったく新しいタイプの大型館が誕生した。これら大型館の特徴は、サメ類などの大形魚やカツオ類などの回遊魚の飼育を可能にした点と、餌(え)づけなどのショーが可能な巨大水槽の存在にあった。
日本最初の水族館は1882年(明治15)に上野動物園にできた観魚室(うおのぞき)である。わが国初期の水族館は、1899年に開設された個人経営の浅草水族館を除き、和田岬、堺(さかい)、魚津(うおづ)など、博覧会の付属施設としてつくられたものが多く、以後大正年代にかけては、東京大学の三崎(みさき)、京都大学の瀬戸、東北大学の浅虫(あさむし)など大学の臨海実験所に付属する水族館が生まれた。昭和初期に開設または改装された代表的な水族館は、阪神、新舞子(しんまいこ)、堺の3館で、それらの規模、設備、内容をみると、このころからわが国の水族館は近代的な施設に脱皮したといえる。第二次世界大戦中、壊滅状態にあった水族館は、昭和20年代後半から徐々に復興していった。さらに昭和30年代以降は、次のような4期にわたる水族館建設ブームがみられた。
第1期のブームは昭和30年代で、日本各地に新たな水族館が21館生まれた。この時代の展示水槽は中・小型水槽が一列に並ぶものが主流であり、そのなかにあって、みさき公園自然動物園水族館のオセアナリウム(240トンと300トン)と須磨水族館の(すますいぞくかん)アクアランド(400トン)は、大型水槽のはしりとして目だつ存在であった。また、マリーンパレス(大分生態水族館、2004年にリニューアルオープンし大分マリーンパレス水族館「うみたまご」となった)の回遊水槽はドーナツ形の大型水槽に一定方向の流れをつくり、エンドレスの水路とした独創的なものであった。
第2期のブームは昭和40年代の前半で、全国で合計14館が建設された。そのなかでとくにユニークなものとしては、海底散歩の趣を演出した半地下式の天草海底自然水族館、円形の船に展示設備を設けた下田海中水族館、造礁サンゴの飼育を本格的に始めた串本海中公園センター水族館(くしもとかいちゅうこうえんせんたーすいぞくかん)などがあげられる。
昭和50年代の第3期建設ブームでは新たに13館が新設され、そのなかでも1000トンの大水槽にジンベエザメを泳がせた沖縄記念公園水族館(現、沖縄美ら海水族館(おきなわちゅらうみすいぞくかん))、都心のビル10階(地上40メートル)でイルカを飼育・展示したサンシャイン国際水族館などが目だつ。1983年(昭和58)には多彩な展示内容をもつ巨大水族館のはしりとして、青森県営浅虫水族館が開館して、平成の第4期ブームへと続いていく。
平成に入ってからは、海の中道海洋生態科学館、葛西臨海水族園、マリンピア日本海、八景島シーパラダイス、登別マリンパークニクス、大阪・海遊館など、超大型水族館が続々と誕生し、展示内容も多様化していった。
[荒賀忠一]
展示生物の顔ぶれによって、水族館は都会型と地方型に大別できる。前者は国内産の水族にとどまらず、広く世界各地の著名な水族を集める方針の館で、葛西、須磨などがこれに相当する。後者は京都大学瀬戸臨海実験所(白浜水族館)、串本海中公園センターなどのように、その所在地の水中生物相を紹介しようとするもので、各館それぞれ個性に富む。わが国の水族館の多くは各地の観光地にあり、本来は地方型であるべきであるが、多様化する観客の希望に応ずるために、昭和50年代以降は都会型を目ざす館が多くなった。また観客と水族の結び付きを深める手段として、調教された海獣や魚類のショーを取り入れたり、水族に手を触れることができる体験水槽を設けるところも増えている。
[荒賀忠一]
基本的な形式は、直方体の中・小型水槽が1列に並んだ、俗に汽車の窓式とよばれるものである。この形式は、大形水族が飼えないといった制約があるものの、水族の形や動きを間近でよく観察できるという利点があり、現在でも多くの館で水槽配置の主方式となっている。これに対して、ダイナミックな水中景観の演出を目的とした容量数千トン級の長方形水槽や、ドーナツ形のエンドレス水路に流れをつくって魚群をつねに泳がせる回遊水槽など、水槽の規模が巨大化する一方、微小な生物の姿を紹介するため、レンズ、照明灯、円形スクリーンが一体になった万能投影機や顕微鏡を利用したマイクロ・アクアリウムが開発されている。水槽の水位をガラス面の半分ぐらいにまで下げ、水中景観と同時に熱帯植物などで造成された背景を見せるランドスケープ水槽も各地の大型館で採用されている。このように水族館の展示水槽の形式は著しく多様化しつつある。
[荒賀忠一]
水槽に水を満たしただけの止水式でも短期間なら少数の生物を飼えるが、数多くの水族を飼い続けるには、次のいずれかの水質維持設備が必要である。開放式(放流式)は、くみ上げた海水を直接飼育水槽に供給し、使用後は海に流し捨てる方式で、新鮮な海水を常時大量に使えるのが強みである。しかし立地条件の制約が大きいうえに、水温の調節や薬品による魚病対策がむずかしいという欠点をもつ。閉鎖式(循環式)は、館内の貯水槽に蓄えた水を各水槽へ供給し、使用後の水は濾過(ろか)槽で浄化したのち貯水槽へ戻す方式で、立地条件には左右されず、内陸の水族館でも海の生物を飼育できる。ボイラー、冷凍機などの加熱冷却装置と熱交換器を用いて、温度調節は開放式より効率的にできるので、熱帯性、寒帯性の水族も同時に飼育しうる。しかし長期間同じ水を反復使用すると水質の低下は否めない。循環式水槽でもっとも重要な部分は濾過槽である。濾材には一般に細砂が用いられるが、その機能は、砂の層で水中の浮遊物を物理的に濾(こ)し取るだけでなく、砂粒の表面に繁殖した濾過バクテリアの生化学的な作用により、窒素化合物など飼育水中の有害物質を無害な塩類に分解する点にある。この意味では濾過槽も生き物であり、水族館の裏方はその維持管理に細心の注意を払っている。濾過槽のほかに、細かい気泡の吸着力を利用して飼育水中の不純物を取り除く装置があり、紫外線やオゾンによる殺菌装置もよく用いられている。
[荒賀忠一]
かつては水族の飼育に精いっぱいだった水族館も、近年は飼育設備や採集技術(とくに潜水技術)の向上によって生じた余力を利用し、希少生物の生態調査、資源保護などの研究を進められるようになった。とくに魚類の人工増殖の面では、着実に成果があがりつつある。
[荒賀忠一]
水生動物を生きたまま展示し,研究するための公共施設。なお近年は水族園,アクアミュージアム等と称するものが多い。現在日本だけでも水族館は100以上開設されていて,1国の保有館数としては世界で最も多く,世界中にはおそらく500館以上存在すると思われる。
人の好奇心はいろいろな動物にむけられたが,水の中の生態を見たいという欲求も決して小さいものではなく,水を入れた容器の中で魚を飼育したという記録が古代バビロニアのシュメールや中国の周の時代にもあり,水槽や池で飼うキンギョは宋の時代に多くの品種がつくられた。これらの事例が水族館への原点といえよう。海水はもちろん,淡水を容器の中に入れておくとたちまち水が変質し〈くさる〉ことは誰でも体験して知っていた。しかし水そのものを分析したり技術的にくさるのを防ぐ手段をもたなかったため,19世紀の中ごろまで長い期間水槽中の生物を見るのは夢でしかなかった。1830年フランスのボルドー,50年ジャルダン・デ・プラント内に水族館が設けられたという記録はあるが,内容はほとんど伝えられていない。53年ロンドンのリージェントパーク動物園の中に水族館が設けられたが,このときガラスの水槽が初めて使われ,光をあてて藻がしげるようにくふうされていた。中がよく見えることと,先駆的なバランス型アクアリウムの発想で水中に酸素を補給したことは画期的で,これを近代水族館の第1号とする学者もいる。ところがこれと時を同じくして,イギリスのロイドW.Alford Lloydが水を砂でろ過して循環させる方法を見いだし,水質保全についての技術が開発され実用化されはじめた。60年代にJ.ベルヌの《海底二万里》に代表されるようなロマン主義的風潮に刺激されつつ,ヨーロッパ各地に開設された水族館はこのロイドの方法をとり入れたものが多かったが,技術的にも従前より安定した設備をそなえたのは74年に開設されたナポリ水族館であった。これ以降水族館は飛躍的に発展し,ドイツやオランダをはじめアメリカなどの各地に設けられた。
20世紀に入ると,しだいに技術的に改善された水族館が欧米各地で開設されるようになった。1913年に開館したベルリン水族館(同動物園内)では魚類のみならず両生類,爬虫類それに昆虫類も生きたまま展示したが,これはその後の展示範囲と方向に大きな影響を及ぼしている。23年に設けられたサンフランシスコのスタインハルト水族館は水槽が大小あわせて157基もあって,淡水魚と海水魚の両方を系統的に配列した内容をもち,研究機関としての機能をも果たす施設になっていた。しかし特筆すべきはシカゴのミシガン湖畔に開設されたJ.G.シェッド水族館である(1929年から31年にかけて段階的に開かれた)。同水族館はシェッドJ.G.Sheddの遺産300万ドルを基に展示水槽203,予備槽175基という空前の規模と,淡水および海水のろ過循環,それに加温冷却装置を備えた設備をもち,そのうえ採集船や運搬のための専用保温列車まで備え,最近では教育部門を拡充して普及活動を積極的に進めるなど,博物館施設としても大きな役割を果たしている。アメリカにはこのクラスの水族館がいくつもある。
一方日本の歩みを見ると,最初の水族館は1882年に開園した上野動物園内に,〈観魚室(うおのぞき)〉として登場した。これは15ほどの水槽が並び,キンギョやテナガエビそれにサンショウウオなどを展示していたと記録されている。その前後に相次いで類似の施設が設けられたが,いずれも博覧会の中であり,したがって一時的なものであった。しかし97年に神戸の和田岬で開かれた第2回水産博覧会の水族館は特筆しなければならない。海水槽20,淡水槽9基のこの水族館には,日本最初の循環装置がとりつけられた。これは当時東大教授で動物学界のリーダーであった飯島魁の指導によるものであった。1903年に開設された堺水族館(当初は第5回内国勧業博覧会の施設であったが,後に堺市立となる)も飯島の指導によってろ過循環装置をそなえ,大水槽(幅7.2m,奥行2.4m,水深1.7m)を実現した画期的なもので,いわゆる水族館とよべる本格的な施設であった。
日本の水族館の歴史に大学の臨海実験所が果たした役割も忘れることはできない。1886年開設された東大三崎実験所には付属水族館が併設されていたし,東北大浅虫実験所には1924年開設当初から240m2の水族館があった。1922年開設された京都大学白浜実験所には30年に水族館が設けられ,今日も豊富な種類を擁する水族館としての役割を果たしている。36年に東大が新舞子に設けた水族館はJ.G.シェッド水族館を模したもので,水槽数が90という堂々たる内容で,戦前の水産学のレベル向上に大きな貢献をした。
一方,1934年阪神電鉄が設けた甲子園阪神水族館は熱帯性海水魚を展示したり,ゴンドウクジラを紀伊沖から輸送してプールで見せるなど数多くのアイデアを駆使した試みを行ったが,軍によって建物を接収され閉鎖せざるをえない結果になった。戦後各地に設けられた水族館は毎年2~4館にのぼり,アクリルガラスの進歩によるのぞき窓の大型化,コンピューターによる自動的な水質保全装置などの普及がみられるようになった。
近年では館ごとに特色を出す工夫がなされ,展示テーマも派手になっている。これは戦前からの分類を基調とする地味な〈種の展示〉のほかに,集団を大きな水槽で展示する部門が拡充され,ショー化する方向が強くなったためである。この原型は1938年,フロリダに撮影用に設けられたマリン・スタジオで海獣類が展示され好評を博したことによる。イルカなどの大型海獣類のダイナミックなショーは飼育技術の進歩とあいまって大衆的人気を博し,結果として入館者の増加をもたらした。そのために競って新企画を打ち出し,年ごとに規模が大きくなりつつある。とくに1965年以降に開設された水族館では(1)大型回遊水槽によるサメ類の展示,(2)魚などの能力を見せるショー,(3)海獣類のダイナミックなショー,それに(4)珍しい種類または群れの展示という四つの方針を中心に設立されているものが多い。動物園同様,博物館に相当する施設である水族館の使命は,社会教育とレクリエーションの場であるとともに,生物学の研究と自然保護への貢献であるが,日本の場合はレクリエーションへの傾きがやや強く,1985年以降は大規模化の傾向がみられる。また自然とふれあうことのたいせつさを訴えるという見地から,人工的に作った海岸の磯やタイドプールで,小型の魚やウニ,ヒトデなどがさわれるタッチングコーナーを設けるところも増えつつある。
執筆者:矢島 稔
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
… 19世紀中ごろから展示施設としてのアクアリウムに対する一般の関心が高まり,研究所や動物園の付属施設として大規模なものが設置されるようになった。この場合のアクアリウムは水族館と呼ばれる。研究所の付属施設としてはフランスのボルドーに1830年に開設されたものが,動物園の施設としては53年ロンドン動物園に設けられたものが最初とされる。…
※「水族館」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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