水木村(読み)みずきむら

日本歴史地名大系 「水木村」の解説

水木村
みずきむら

[現在地名]日立市水木町一―二丁目、水木町・おおみか町一―五丁目・森山もりやま町一丁目・同四―五丁目・東大沼ひがしおおぬま町三丁目

東は海岸段丘面で、ほぼ中央をいずみ川が東流し、西を岩城相馬いわきそうま街道が縦貫、西と北は大沼森山両村。田楽鼻でんがくばな遺跡・筑前山ちくぜんやま遺跡・細田上の台ほそだうわのだい遺跡・泉前いずみまえ遺跡・泉原いずみはら遺跡・ツヶつか遺跡・大甕おおみか遺跡およびみかはら古墳群など、先土器時代から古墳時代後期の遺跡が点在する。

「常陸国風土記」の久慈郡の項にみえる「密筑の里みつきのさと」の遺称地で、「其の東と南とは海辺に臨む。石決明・棘甲、魚貝等の類、甚多し。西と北とは山野を帯ぶ。椎・櫟・榧・栗生ひ、鹿・猪住めり。凡て海山の珍しき味、悉に記すべからず」と記される。また「和名抄」の久慈郡の条にみえる「高月」郷は「箕月」の誤記で、密筑の里はこの箕月郷にあたるとされる。泉神社の境内泉ヶ森に大井おおいとよばれる浄泉が湧出し、「新編常陸国誌」の密月郷の条に「サレバ中古ハ此村ヲモ呼デ泉ト云ヘリ」「今泉ト云ヘルモ、コノ地辺ノコトナリ」と記され、弘安二年(一二七九)の弘安大田文の佐都さと東郡の項には「泉三十五丁、今泉十五丁」とみえる。


水木村
みずきむら

[現在地名]常盤村水木

川氾濫原の自然堤防上にある。羽州街道から東南の常盤村、西の支村福左内ふくさない、北の久井名館くいなだて村へ通じる道がそれぞれ分岐する。

天文年間(一五三二―五五)津軽郡中名字に「溝城みぞき」とあり、当村と思われる。浪岡御所の北畠氏第八代具運の叔父具信が途絶えていた川原御所を継ぎ、溝城館を領したという。永禄五年(一五六二)領地争いから具信父子は具運を殺害、自らも討たれたという(永禄日記)。なお北畠武鑑の北畠右衛門督親成卿附諸侯によれば、「水渓右京亮綱親が水木城主」とあり、これ以前の南北朝時代にも城主がいたことになる。水木館跡は福左内(現字福西)との中間にあり、屋敷型の平城で、郭内は南北約二五〇メートル・東西約二〇〇メートル、四周に水堀跡があるが、現在は水田となっている(津軽諸城の研究)


水木村
みずのきむら

[現在地名]葛生町水木みずき

秋山あきやま川上流域の段丘上にあり、東は都賀つが上仙波かみせんば村、西は白岩しらいわ(現田沼町)、南は柿平かきだいら村、北は秋山村。安蘇郡に属し、慶安郷帳によれば田七石余・畑三七二石余・山銭浮役一三九石余、朽木稙綱領と下総古河藩領の相給。慶安二年(一六四九)幕府領となり、元禄郷帳では高三六九石余。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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