水無神社(読み)みなしじんじや

日本歴史地名大系 「水無神社」の解説

水無神社
みなしじんじや

[現在地名]宮村 石原

北東流する宮川の右岸に鎮座する。法人名は飛騨一宮水無ひだいちのみやみなし神社。くらい山分水嶺の宮峠北西麓、位山道と宮峠道の分岐点を前にして社殿は北面する。位山道は古代東山道から分岐して飛騨国府に至った飛騨支路の道筋とされる。祭神は御歳大神、相殿は大己貴命など一二柱、旧国幣小社・飛騨国一宮。「延喜式」神名帳に載る大野郡水無神社に比定され、俗に「スイム」とよばれる。「水無」については「ミヌシ」の転訛ともいい、また宮川が社前で伏流し水無川原とよばれるためともいう。祭神については大己貴命女・御歳神(大日本一宮記)のほか、水主神(先代旧事本紀)など諸説ある。仁寿元年(八五一)一月二七日正六位上(文徳実録)、貞観九年(八六七)一〇月五日従五位上、同一〇年七月二七日正五位下、同一三年一一月一〇日正五位上、同一五年四月五日従四位下、元慶五年(八八一)一〇月九日従四位上に叙せられた(三代実録)

永万元年(一一六五)神祇官年貢進納諸社注文写(永万文書)に「飛騨国水(無カ)自本官神主被成」とみえ、神主は神祇官より任命されており、神祇伯家の支配下にあった。仁安元年(一一六六)頃の飛騨国雑物進未注進状(宮内庁書陵部蔵)には、八講田三町、彼岸田三町二反、朔幣田一町、最勝講田一町、上分田一町など、一宮水無神社に関するさまざまな除田が書上げられている。


水無神社
すいむじんじや

[現在地名]木曾福島町伊谷

国道一九号を上松あげまつのほうからきて福島トンネルへ入る手前を右折して一〇〇メートルほどの所の山の中腹にある。祭神は高照姫命。

この神社は木曾氏・山村氏が御嶽おんたけ神社とともに崇敬した由緒ある神社で、その創祀について、伝承では往古宗助・幸助という二人の杣によって、飛騨の一の宮水無神社の分霊を勧請されたもので、その後弘安年間(一二七八―八八)に木曾領主木曾家仲が社殿の再興を行ったものであるとしている。

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改訂新版 世界大百科事典 「水無神社」の意味・わかりやすい解説

水無神社 (みなしじんじゃ)

岐阜県高山市の旧宮村に鎮座。古くより,〈みなせ〉〈すいむ〉とも読まれているが,現在正式には飛驒一之宮水無神社と呼称。水無大神をまつる。水無とは〈水成し〉,また〈水主(みぬし)〉の意というが,富山湾に流入する神通川上流の宮川の水源地位(くらい)山を神体山とする。社前を流れる宮川は本社付近では砂礫の下を潜流することから水無川ともよばれ,それより来た名とみられる。創建年代不詳。神階は867年(貞観9)従五位上,881年(元慶5)従四位上,延喜の制で国幣の小社,のち飛驒国一宮となる。中世以降釈迦を本地仏として水無大菩薩と称し,社僧をおいた。明治の制で国幣小社。例祭5月2日。
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百科事典マイペディア 「水無神社」の意味・わかりやすい解説

水無神社【みなしじんじゃ】

飛騨一宮水無神社

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事典・日本の観光資源 「水無神社」の解説

水無神社

(長野県木曽郡木曽町)
信州の神社百選」指定の観光名所。

出典 日外アソシエーツ「事典・日本の観光資源」事典・日本の観光資源について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「水無神社」の意味・わかりやすい解説

水無神社
みなしじんじゃ

飛騨一宮水無神社

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

世界大百科事典(旧版)内の水無神社の言及

【宮[村]】より

…東の久々野(くぐの)町との境にある宮峠は太平洋側と日本海側の分水界をなす。宮峠北麓に飛驒一宮の水無(みなし)神社があり,宮の地名はこれに由来する。村内で産出されるヒノキ,イチイを材料とする編笠,イチイ細工が特産で,乗鞍岳,御嶽山,日本ラインなどの観光基地向けに出荷されている。…

※「水無神社」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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