日本歴史地名大系 「池下村」の解説 池下村いけしたむら 滋賀県:坂田郡山東町池下村[現在地名]山東町池下加勢野(かせの)村の西に立地。西部は低山地で、東に平地が開ける。西の山地に三島(みしま)池があり、この池の下方に集落があったことからの村名という。応永二六年(一四一九)二月二七日の観音寺本堂造作日記帳(大原観音寺文書)によれば「池之下村人」が五〇〇文を献納。永享一〇年(一四三八)六月二五日の観音寺領注文断簡(同文書)に作人池下兵衛の名がみえる。永正一六年(一五一九)六月四日の観音寺千部経田地目録(同文書)に「池之下」がみえる。「佐々木南北諸士帳」には池下治郎左衛門・同右近太郎が当地居住とある。池下氏は佐々木大原氏の支流(坂田郡志)。 池下村いけしたむら 静岡県:掛川市池下村[現在地名]掛川市逆川(さかがわ)逆川の左岸にあり、西は成滝(なるたき)村、南は満水(たまり)村。鞍橋(くらほね)池(現在の鞍骨池)の下にあたるのでその名がある(掛川誌稿)。「遠淡海地志」はクラボ子(ね)が池と記す。「海道記」貞応二年(一二二三)四月一二日条に「山口といふ今宿をすくれは、(中略)事任といふ社に参詣す」とあり、「掛川誌稿」は今宿(いまじゆく)を当地とする。寛永新道ができる以前の東海道の往還の地で、かつては民家が軒を連ねていたので、慶長九年(一六〇四)の検地帳にも池下町と書かれていたという(同書)。 池下村いけしたむら 兵庫県:神戸市西区池下村[現在地名]西区神出町紫合(かんでちようゆうだ)明石郡の北西端に位置し、東は神出田井(かんでたい)村、西は加古郡野谷新(のだにしん)村(現稲美町)。明石藩の開墾策によって貞享元年(一六八四)に開発された(采邑私記)。元禄郷帳に村名がみえ、高一三七石余。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by