三國連太郎(読み)みくにれんたろう

百科事典マイペディア 「三國連太郎」の意味・わかりやすい解説

三國連太郎【みくにれんたろう】

俳優。群馬県太田市生まれ。本名,佐藤正雄。幼少期から少年期は,養父の故郷・静岡県西伊豆で育つ。旧制豆陽中学中退後,中国・青島釜山,大阪など各地を転々としていたが,1943年徴兵検査のために帰郷。甲種合格となり召集,逃亡を企てたが,憲兵隊に連れ戻され入隊,中国戦線に送られた。中国における戦争体験と養父が被差別部落の出身であったことから来る差別問題とが,後の三国の俳優としての活動と思索を決定づけたといわれる。1950年松竹大船撮影所に研究生として入る。1951年木下恵介監督《善魔》でデビュー,役名の三國連太郎を芸名とした。以後,渋谷実監督《本日休診》(1952年),久松静児監督《警察日記》(1955年),市川崑監督《ビルマ竪琴》(1956年)等で陰影のある二枚目役としての位置を築いた。1957年の家城巳代治監督《異母兄弟》で家族を踏みにじる老軍人役を演じ歯を10本も抜くなど徹底した役づくりに挑み,以後,内田吐夢監督《宮本武蔵》(1961年―1965年),市川崑監督《破戒》(1962年),小林正樹監督《切腹》(1962年)など,日本を代表する監督の話題作に貴重な脇役・準主役として起用され,1968年の内田吐夢監督《飢餓海峡》の殺人犯役で圧倒的な存在感を見せ,俳優としての評価を不動のものとした。他の代表作に今村昌平監督《神々の深き欲望》(1968年),《復讐するは我にあり》(1979年),コミカルな演技で人気を博した《釣りバカ日誌》シリーズ(1988年―2009年,栗山富夫監督など)がある。キネマ旬報主演男優賞3回,同助演男優賞1回,ブルーリボン主演男優賞2回,同助演男優賞1回など受賞歴多数。自ら製作・監督した《親鸞・白い道》(1986年)でカンヌ国際映画祭審査員特別賞を受賞している。俳優佐藤浩市は息子。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「三國連太郎」の意味・わかりやすい解説

三國連太郎
みくにれんたろう

[生]1923.1.20. 群馬,太田
[没]2013.4.14. 東京,稲城
映画俳優,監督。本名佐藤政雄。1951年松竹の『善魔』で映画デビューし,有望新人として注目される。この映画の役名を芸名にした。翌 1952年松竹を去り,東宝をはじめとする各社および独立プロダクションで活躍。演技派俳優として幅広い役を演じた。『異母兄弟』(1957),内田吐夢監督の『飢餓海峡』(1965),今村昌平監督の『神々の深き欲望』(1968)などで高い評価を得た。ほかに,『ビルマの竪琴』(1956),『にっぽん泥棒物語』(1965),『襤褸の旗(らんるのはた)』(1974),『利休』(1989)など。1988年から西田敏行と主演した「釣りバカ日誌」シリーズは人気を博した。1987年に初監督した『親鸞 白い道』でカンヌ国際映画祭審査員賞を受賞。1984年紫綬褒章,1993年勲四等旭日小綬章を授与された。

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