河島英五(読み)カワシマ エイゴ

新撰 芸能人物事典 明治~平成 「河島英五」の解説

河島 英五
カワシマ エイゴ


職業
シンガー・ソングライター

グループ名
グループ名=河島英五とホモサピエンス

生年月日
昭和27年 4月23日

出生地
大阪府 東大阪市

学歴
花園高卒

経歴
サラリーマンの長男として生まれる。13歳の時に父がライト工業というプラスチック関係の町工場を起こし、1960年代後半のスロットル・カー・ブームの中で売り上げを伸ばしたが、5年後ブームが去り倒産した。中学2年の時に姉から初任給で買ってきたギターを贈られ、我流で弾き方を覚えて作詞作曲を開始。ピアノは高校3年から始めた。高校時代にバスケット仲間4人とフォークグループのホモサピエンスを結成、リーダーを務め、昭和50年シングル「何かいいことないかな」でレコードデビュー。アルバム「人類」「運命」を残して解散した後はソロ活動に入り、精力的にライブ活動を展開。パワフルなライブで地道にファンを獲得していく中で、セカンドシングル「てんびんばかり」のB面に収められていた「酒と泪と男と女」が有線を中心に広がり始め、黄桜酒造(黄桜)のCMソングにも起用されて大ヒットとなった。また、音楽活動の合間を縫って、52年初の外国旅行でインド、アフガニスタンを訪れたのを皮切りに、ペルートルコネパールを単身放浪。その経験から得たものの集大成として、55年「文明I」「文明II」「文明III」と3枚のアルバムを立て続けにリリース。61年阿久悠作詞・森田公一作曲のシングル「時代おくれ」を発表、当初は注目されなかったが、平成3年NHK「歌は時代を語り続けた」で披露したところ視聴者からの問い合わせが集中し、NHK「紅白歌合戦」に初出場。7年からは阪神・淡路大震災の復興義援コンサート「復興の詩」をプロデュースした。ライブツアーでは、県庁所在地を巡るといったやり方ではなく、要請があればどのような土地であろうと歌いに行くという姿勢を貫いて全国各地を訪れ、ライブの回数は3000回を超える。俳優としてもNHK朝の連続テレビ小説「ぴあの」「ふたりっ子」などに出演。13年最後のライブを行った2日後、肝臓疾患のため48歳で急逝した。飾らない人柄がにじみ出た歌声と楽曲でファンの心を掴み、他の代表曲に「生きてりゃいいさ」「野風増」「地団駄」「晩秋」「旅的途上」「元気だしてゆこう」「旧友再会」などがある。長女の河島あみる、二女の河島亜奈睦、長男の翔馬もそれぞれタレントミュージシャンとして活躍する。

受賞
全日本有線放送大賞(特別賞 第19回 昭61年度)

没年月日
平成13年 4月16日 (2001年)

家族
長女=河島 あみる(タレント),二女=河島 亜奈睦(ミュージシャン),長男=翔馬(ミュージシャン)

伝記
優しさとしての教育片想い哀しき紙芝居 灰谷 健次郎 著中島 みゆき 著笑福亭 鶴瓶 著(発行元 新潮社新潮社シンコー・ミュージック ’88’87’86発行)

出典 日外アソシエーツ「新撰 芸能人物事典 明治~平成」(2010年刊)新撰 芸能人物事典 明治~平成について 情報

367日誕生日大事典 「河島英五」の解説

河島 英五 (かわしま えいご)

生年月日:1952年4月23日
昭和時代;平成時代のシンガーソングライター
2001年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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