河野広躰(読み)コウノ ヒロミ

20世紀日本人名事典 「河野広躰」の解説

河野 広躰
コウノ ヒロミ

明治期の自由民権運動



生年
文久4年1月15日(1864年)

没年
昭和16(1941)年1月24日

出生地
睦奥国三春

別名
号=北洲

経歴
河野広中感化を受け、土佐の発揚社に学び、自由民権運動に参加。明治15年福島事件検挙、高等法院に送られたが免訴、釈放された。16年集会条例違反で罰金10円。17年福島事件で弾圧を加えた栃木県令三島通庸の暗殺を図ったが事前に漏れ、爆裂弾をもって同志加波山挙兵の檄を発した(加波山事件)。逃亡中栃木県で捕らえられ、19年無期徒刑判決を受けた。27年恩赦で北海道空知集治監から出獄。その後進歩党に入り、星亨に従って渡米、帰国後は移民事業に従事した。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

新訂 政治家人名事典 明治~昭和 「河野広躰」の解説

河野 広躰
コウノ ヒロミ


別名
号=北洲

生年月日
文久4年1月15日(1864年)

出生地
睦奥国三春町

経歴
河野広中の感化を受け、土佐の発揚社に学び、自由民権運動に参加。明治15年福島事件で検挙、高等法院に送られたが免訴、釈放された。16年集会条例違反で罰金10円。17年福島事件で弾圧を加えた栃木県令三島通庸の暗殺を図ったが事前に漏れ、爆裂弾をもって同志と加波山に挙兵の檄を発した(加波山事件)。逃亡中栃木県で捕らえられ、19年無期徒刑の判決を受けた。27年恩赦で北海道空知集治監から出獄。その後進歩党に入り、星亨に従って渡米、帰国後は移民事業に従事した。

没年月日
昭和16年1月24日

出典 日外アソシエーツ「新訂 政治家人名事典 明治~昭和」(2003年刊)新訂 政治家人名事典 明治~昭和について 情報

改訂新版 世界大百科事典 「河野広躰」の意味・わかりやすい解説

河野広躰 (こうのひろみ)
生没年:1864-1941(元治1-昭和16)

福島事件,加波山事件に関与した自由民権家。福島県出身。叔父河野広中の影響をうけて自由民権運動に参加。1882年福島事件で検挙されたが免訴,釈放され,以後,急速にテロリズムに接近した。福島事件で弾圧した県令三島通庸の暗殺を計画したが発覚。84年9月同志16人とともに茨城県の加波山で蜂起し失敗。逃走中逮捕され,無期徒刑に処された。94年特赦により出獄。
執筆者:

出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「河野広躰」の解説

河野広躰 こうの-ひろみ

1864-1941 明治時代の自由民権運動家。
文久4年1月15日生まれ。河野広中(ひろなか)の甥。明治15年福島事件で検挙される。釈放後の17年,弾圧をくわえた福島県令三島通庸(みちつね)の暗殺を同志と計画したが,発覚して挙兵(加波山(かばさん)事件)。無期徒刑の判決をうける。27年出獄し,晩年は移民事業にたずさわった。昭和16年2月20日死去。78歳。陸奥(むつ)三春(福島県)出身。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

世界大百科事典(旧版)内の河野広躰の言及

【加波山事件】より

…1882年11月の福島事件以来,関東諸県の自由党員の間には,狂暴化する政府の弾圧にテロリズムで対抗しようとする傾向が強まった。福島事件に連座した河野広躰,三浦文治ら福島の自由党員は,83年4月釈放されると,福島県令三島通庸(同年10月より栃木県令兼任)の暗殺を計画してその身辺をねらった。一方,栃木県では下都賀郡の自由党員鯉沼九八郎が83年末,政府転覆をめざして爆弾の製造を開始していた。…

※「河野広躰」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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