平安末期の能書、藤原忠通(ただみち)の始めた書流。流名は、摂政(せっしょう)・関白に上った忠通が晩年に京都白河の法性寺境内に住したことから法性寺殿とよばれたのにちなむ。彼は当時の伝統的な和様書道に加えて、新興の武家文化の影響に支配されて、重厚で粘りのあるたくましい書を残した。この新書風は、転換期の世情に適合し、大きな流行をみせる。尊円法親王の『入木抄(じゅぼくしょう)』には、「法性寺関白出現之後、天下一向此(この)様に成て、後白川(ごしらかわ)院以来時分如此。剰後京極摂政相続之間、弥(いや)此風さかりなり。後嵯峨(ごさが)院此(これ)までも此躰(このてい)也」と、その流れの展望を示している。忠通の一系には相次いで多くの能書を輩出したが、孫の良経(よしつね)(1169―1206)の後京極(ごきょうごく)流、その子の教家(のりいえ)(1194―1255)の弘誓院(ぐぜいいん)流の名で継承されていく。
[神崎充晴]
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
…しかし,それらに通ずる様式は覆うべくもない時代色としても現れている。平安後期に藤原忠通は行成様に重厚な感覚を付加して法性寺(ほつしようじ)流を創め,これが鎌倉時代の主流となった。武家の書風も公卿風の様式から離れたものでなく,時代相応の書風を形成している。…
※「法性寺流」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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