和様(読み)ワヨウ

デジタル大辞泉 「和様」の意味・読み・例文・類語

わ‐よう〔‐ヤウ〕【和様】

日本固有の様式。日本式。日本流。和風
書道で、日本風の書体。平安中期、小野道風おののとうふうに始まり、藤原行成ふじわらのゆきなり世尊寺流によって大成法性寺ほっしょうじ青蓮院しょうれんいんなど、種々の流派がある。
寺院建築の様式の一。鎌倉時代に導入された大仏様建築禅宗様建築に対し、奈良時代大陸から伝えられて平安時代に日本で発展した伝統的な建築様式。現代まで続く。鎌倉室町時代にかけては折衷様も現れた。興福寺東金堂など。
[類語]和風和式

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精選版 日本国語大辞典 「和様」の意味・読み・例文・類語

わ‐よう‥ヤウ【和様】

  1. 〘 名詞 〙
  2. 日本固有の様式。日本で、昔から行なわれているような風習や様式。日本流。日本式。和風。⇔唐様(からよう)
    1. [初出の実例]「東坡米芾(べいふつ)が妙だとか、奇絶だとかいふ人も、和様(ワヤウ)一筆啓上で覚たものだから」(出典滑稽本・浮世風呂(1809‐13)四)
  3. 書道で、法性寺流・青蓮院流・御家流(おいえりゅう)系列に生まれた日本的な書体。漢字の筆法をやわらげて書くもの。和流。⇔唐様
    1. [初出の実例]「日本にては尊円を和様の祖と仰ぐ」(出典:随筆・槐記‐享保一二年(1727)閏正月二八日)
  4. 鎌倉時代に中国大陸から輸入された建築様式である大仏様(天竺様)・禅宗様(唐様)などに対して、平安時代以前から日本に行なわれてきた建築様式。蓮華王院本堂、興福寺東金堂などの様式をさす。和様建築。⇔唐様(からよう)
    1. [初出の実例]「倭様 又作和」(出典:紙上蜃気(1758))

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「和様」の意味・わかりやすい解説

和様
わよう

日本美術用語。唐様(からよう)に対することばで、日本風、日本様式をさす語として用いられ、美術史ではとくに書、建築などの様式に用いる。

 書では、唐様とともに日本書道の大きな流れとなったが、和様のうち平安時代に完成された和様をとくに上代様と称して他と区別している。

 建築では、鎌倉時代に新たに導入された大仏様、禅宗様に対する呼称。奈良時代に伝来した中国唐(とう)代の建築様式が母胎となり、平安時代を通じて日本的に発展したものを和様の建築様式という。

[永井信一]

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「和様」の解説

和様
わよう

日本風の書のこと。唐様の対語。奈良~平安初期には中国の書とくに王羲之(おうぎし)の書風に追従することが第1とされたが,平安中期に至ってそれまでとは一線を画する日本独特の書風が確立された。概して温和で優美なこの書風を和様とよぶ。和様の示す範囲は一般に楷書・行書・草書の漢字三体に限定され,日本でうまれた仮名は含まれない。最初の和様創始者は三蹟の1人小野道風(みちかぜ)で,王羲之の書を日本化して書くことに成功した。その後,同じく三蹟の藤原佐理(すけまさ)・藤原行成(ゆきなり)によって継承された。とくに後世の和様書流の根幹となる世尊寺(せそんじ)流の祖である行成の書風は広く流行した。法性寺(ほっしょうじ)流・御家(おいえ)流(青蓮院(しょうれんいん)流)など中世~近世に主流をなしたものはおおむね和様であり,明治期に入って中国風の書が盛んになるまで長期にわたり隆盛を誇った。

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旺文社日本史事典 三訂版 「和様」の解説

和様
わよう

書道・建築における日本化した様式
書道では平安中期に日本化の傾向が強くなり,三蹟らによって和様書風が大成。藤原行成の世尊寺流などが著名である。建築では,鎌倉時代の大仏様や禅宗様に対して,それ以前に行われた寺社建築や寝殿造の様式をいう。本来,優美な姿を特色としたが鎌倉時代には簡素となった。代表的遺構として石山寺多宝塔・三十三間堂などがある。

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世界大百科事典(旧版)内の和様の言及

【鎌倉時代美術】より

…【田辺 三郎助】
【建築】
 鎌倉時代の建築は治承の乱(1180)による兵火で焼失した南都諸寺の復興で,新しい幕を開いた。そのうち興福寺は主として藤原氏一門によって再建が進められ,様式は従来の和様の伝統を踏襲した保守的な構築にとどまった。東大寺では大仏殿をはじめ伽藍規模が巨大なため,資材,資金の調達に国内の総力の結集を必要とし,源頼朝の援助のもとに勧進上人俊乗坊重源の指導で再建された。…

【唐様】より

…一般的には中国風の形式をもつとの意味で,日本固有の伝統的な和様に対していう。唐帝国の形式とは限らない。…

【社寺建築構造】より


[軒まわり]
 柱の上には組物(くみもの)(建築組物)を置いて桁(けた)を支え,上に垂木をかけて軒をつくる。組物は斗(ます)と肘木(ひじき)とを交互に積み重ねてゆくもの(和様,禅宗様)と,肘木を柱にさし込む挿肘木(さしひじき)(大仏様)とがあり,斗と肘木の数によって,舟肘木,大斗(だいと)肘木,三斗(みつど),出組(でぐみ),二手先(ふたてさき),三手先(みてさき),四手先(よてさき),六手先(むてさき)の別がある。和様では柱上だけに組物を置き,その中間に蟇股(かえるまた)あるいは間斗束(けんとづか)を置くが,禅宗様では中間にも組物を置き,詰組(つめぐみ)と呼ばれる。…

【日本建築】より

…建物全体の軸部は横長の長方形になることが多く,柱と貫(ぬき)などで構成される軸部も正方形を基本とし,縦長の長方形とはしない。このような点は中国様式の影響の強い法隆寺や初期の禅宗建築と,奈良・平安時代以来の和様(わよう)と呼ばれる建築とを比較すると,明瞭に知ることができよう。たとえば禅宗建築では,建物の正面の幅の1.4倍くらいが棟(むね)の高さであるから,全体の形は縦長の長方形となるが,和様の建物では棟高は建物の正面の幅と同じか,それ以下となっている。…

【平安時代美術】より

…これから政治・文化の中心が京都に存在した約400年間がいわゆる平安時代であり,美術の歴史の上でもこれを一つの時代とみている。ただし見方によって,894年(寛平6)の遣唐使廃止によって象徴される大陸文化との一応の絶縁までを弘仁・貞観あるいは貞観時代といって,それ以後の藤原時代と区別したり,10世紀中ごろのようやく和様化の顕著となってくる時期までを平安前期,以後を和様の完成からその展開の時期とみて平安後期のように二分するなど,諸説がある。これらの考え方の根底には,9世紀における華麗な密教美術の開花と,いわゆる一木彫像の示す存在感の強烈な印象が,一つの画期的なものであるという主張がうかがえる。…

【室町時代美術】より

… これに代わる新しい美術の展開の契機となったのは,禅宗とともに中国からもたらされた宋・元の美術様式である。建築では安楽寺八角三重塔(長野)にみられるような禅宗様(唐様)が宋風の異国調をただよわせ,伝統的な和様建築はこの禅宗様や大仏様(天竺様)をとり入れて,いわゆる折衷様を生みだした。彫刻では慶派,院派,円派が前代末から引き続いて活躍し,各地に多くの像を残している。…

【和様建築】より

…一般に〈和様〉という場合,日本の建築や書道その他の芸術などでわが国固有のものとして古代以来伝えられてきた様式をいう。〈やまとのかたち〉と信じられているものだが,実際には飛鳥・奈良時代に中国の唐から伝えられ,これを学び,平安時代を通じてしだいに日本人の感覚と風土に合うように変容した文化様式を指している。…

※「和様」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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